はじめまして、久保光雲と申します。 ブラジルで浄土真宗のお坊さんをしています。
このページでは私の自己紹介をしますが、その前になぜお坊さんになったのかを、すこしお話したいと思います。
もともと仏教とは無縁でした
私は今、ブラジルで浄土真宗のお坊さんをしていますが、もともと仏教とは無縁の家庭に生まれました。
広島出身で、可部町という田舎でのびのびと育ちました。近くには仏教が盛んな地域もあったのですが、うちにはお仏壇もなかったのです。私はそのまま、ほとんど仏教に触れることもなく、中高は広島女学院という学校に通いました。
本当に仏教について知識が無く、20歳すぎまで「お釈迦さまは日本人だ」と思っていたくらいです。
しかしその後、京都市立芸術大学の授業で仏教と出会い、人生が180度変わったのです。
なぜ宗教と無縁だった私が、仏教を選び、海外で布教までするようになったのか? その理由は、私が抱えていた「死を中心とした問題」が、仏教によって解決されたからです。その結果、今は「いつ死んでも大満足」といえる、満ち足りた思いに包まれて生きています。
下の絵は、私の今の人生を描いたものです。 左上の女の子が私です。
仏教と出会う前は、世界が灰色に見えることすらありましたが、今は違います。頭の上に喜びや悩みを抱えながら、カラフルな世界を軽い足取りで進んでいます。
人生最大の不幸である「死の問題」に解決がついたことで、私の世界は色鮮やかに生まれ変わったのです。
愛情たっぷりの家庭と、人生の問題
私が抱えていた人生の問題は、両親がとても愛情深かったことで、より明らかなものになりました。
父は明るく日本人離れした性格で、「うちの娘ほど美人で品がある子はおらん。皇室に嫁に出しても恥ずかしくない」と、人前でも堂々と私のことをほめていました。とても大らかな母は「素晴らしい子を授かった。やりたいことは何でも応援しよう」といって、私が興味を持ったことはいくらでもやらせてくれました。
そのように家庭が温かく、楽しい場所であったからこそ、私にはある不安がありました。 それは、父や母といつか別れなければならないこと。家族が大好きだったからこそ、考えただけでも、あまりにも苦しく辛い問題でした。
さらに、自分が死んだらどうなるのだろう? と考えると、死んだ先がどうなっているのか全く分からず、まるで暗い穴に吸い込まれていくようでした。
1、愛する人といつか死に別れること。
2、いずれ必ず自分も死んでしまうという不安。
誰もが抱えている問題ですが、みなさんはもう解決しましたか? 私の場合は、これらの問題のせいで、世界が灰色に見えることすらありました。
家族の豊かな愛情に恵まれ、勉強もスポーツも楽しく、お友達もたくさんいたのですが。人生の問題は、幸せな世界から色を奪い去るのに充分な力を持っていたのです。
このあたりについては『光雲な毎日』という本に詳しく書きました。
もし興味のある方は、立読みサイト(80ページ分)がありますので、そちらを読んでいただけるとうれしいです。
光雲な毎日 立読み80ページ
http://koun18book1.blogspot.com/
では続けて、生まれてから今までの、光雲の歩みをご紹介します。
0歳~
幼稚園
小学校
中学校~高校時代
予備校時代
大学時代
法華寺
興福寺北円堂
興福寺
東大寺
三十三間堂
神護寺
仏像がこんなに美しいのは、仏教がすばらしいからだ! そう確信して、仏教を学ぶようになりました。
初めて信仰の世界を知り、 このために私は生まれてきたのだ、と思いました。結果として浄土真宗の教えに救われ、私は子供の時から抱えていた問題を解決してもらいました(このあたりについては『光雲な毎日』に書きました。またYoutubeにアップしている法話でもお話しています)。
自分の中の絵と出会う
絵を描くようになってから
ギャラリー(絵の個展)をするようになる
絵が本の表紙になる
びわ湖のカフェで個展をする
アートセラピーをするようになる
仙台に個展をしにいく
お坊さんのこと
これからの夢
・ブラジルへ出発1 ・ブラジルへ出発2 新幹線で事件発生、乗れません。JRで移動してます ・ブラジルへ出発3 新幹線→中部国際セントレア空港 機内持ち込み手荷物で、どたばた ・ブラジルへ出発4 中部国際セントレア空港 → 北京空港 → アブダビ空港 ・ブラジルへ出発5 アブダビ空港 → サンパウロ空港 → ブラジル本願寺別院 ・サンパウロへ向かうフライト中&到着してからとった動画 ・海外旅行でスーツケースをなくさない工夫