法話 朝井リョウ著『何者』と、仏様から見た私
今日はですね、最近読みました本がおもしろかったので紹介させてもらおうと思います。その本は『何者』という題で、朝井リョウという方が書かれた小説です。彼は今、日本で人気のある作家さんですね。
代表的な作品は『桐島、部活やめるってよ』で、これが題名なのかという感じですが、今の若い人々の心理をよくつかんだね小説を書かれるんですね。
それでこの『何者』にはですね、今若い人たちがどういう風にツイッターを使っているかということが、よくわかる内容になっているんですね。
私も含めてですけども、みなさんfacebook・ツイッター・インスタグラムなど、そういうものを使っていると思います。ですが、あの facebookといういうのは、もう若い方はあんまり使わないそうですよ。なぜかというとfacebookっていうのは、リア充という言葉があるんですけど、リアル(実生活)が充実していることしか投稿しにくい。
たとえば誕生日会がありましたとか、プレゼントもらいましたとか、旅行に行きましたとか。そういう良かったこと事しか乗せづらいんですね、facebookっていうのは。楽しかったこと、つまり「いいね」を押してもらえるような、そういうことしか乗せづらい。
それに対してtwitterは、日本語だと140字限定で、短い文章をつぶやくんですね。しかも別に写真をつけなくてもいいし、自分の顔を出さなくてもいい。そういう特徴があるせいか、特に日本人はtwitterが好きなんです。
で、そのツイッターに投稿するためには、まずアカウント(自分の名前)を作ります。でも表のアカウントだけじゃなくて、裏アカウントっていうのも作る人がいるんですね。表立ってつぶやくのと、裏でつぶやくことを分ける。なんていうかな、王様の耳はロバの耳っていうかね。何かこう、嫌なことでも裏アカウントでは言っちゃうわけです。「もう死にたい」とか「あいつは大嫌いだ」とかね。そういうひどい言葉でも、名前がバレないから、まあ言ってしまうんですね、そのtwitterの中では。
それが今の若い方のはけ口となっていて、それを言うことで気持ちがおさまったりするわけです。
だから両方の面があるんですね。遠く離れている友達とも連絡が取れたり、思いがけない人と知り合えるような良い面もある。一方で、非常に暗い闇の部分もある。それらが見えてくるのがツイッターなんだな、と思いました。
この『何者』の中では、大学生たちが主人公で、就職活動するんです。5人グループぐらいで、競争意識もあるんですね。表でみんなと話していることと、心で思っていることが別な場合がある。
表では「就職決まったんだね、よかったね」と祝福しながらも、裏では「先を越された!」「あんまりいい会社じゃなかったらいいなぁ」みたいな暗い気持ちが、やっぱり人間として湧いてくるわけです。そうしたら「おめでとう、よかったね」ということも書くけど、裏のアカウントでは「どうせ大した会社じゃないんだ」とか、そういうことを書いちゃうわけです。
それを使い分けて生きている大学生たちなんですが、今はもう、相手の裏アカウントを見つけることができるみたいなんです。だから黙って悪口を言っていたつもりが、全部バレてる。そしてそのことが明かされていくというね。ちょっと恐ろしい、怖いなって思うような小説でした。
私はこの小説を読んで、やっぱり仏法のこと思いました。表で言っていること、そして裏で何を考えているか、それが違っている人々がいる。私自身もいろんな気持ちを持っている。私はツイッターではそういう使い方をしてませんけど、気持ちの中ではそういうものがあるんですね。
裏の事は知られたくない。知られたくないんだけど、私たちはこの仏様の教えを聞いております。阿弥陀様には裏のことはバレている、全部見抜かれているっていうのが、この浄土真宗の教えなんですね。それはわざわざ暴かれなくても、もうずっと前に阿弥陀様によって見抜かれているんですね。
でもそのことを暴いて「お前はこういう悪い心を持った奴だ」と、私たちを苦しめたいのではない。阿弥陀様はですね、そういう私たちのことを見て「ああ、かわいそうだなあ」と思ってくださっているわけなんです。
私たちは浄土真宗の教えを聴聞して、一回は『お前は何者なのだ?』と言われていることを、辛いけれども直視しないといけない、と思うんですね。どうして阿弥陀様が南無阿弥陀仏を作ってくださったのか? なんでこんなご苦労をしてくださったのか?
嫌ですね。裏アカウントのような自分、そして自分でも見えてないような裏の自分を、光によって隅々まで照らし出されてね、自分が何者であるかを見せていただく。でも、そうして初めて「私を救わずにはおかない、と阿弥陀様に思わせたのは当然なんだ」ということが知らされる。
そして私がね、そういうふうに聞きたいと思ったら、いつでも門は開かれているんです。時も場所を選ばず、誰でも聞けるようになっているのがこの浄土真宗の教えであるなぁ、と味あわせて頂きました。
(西本願寺ブラジル別院 2018.5)
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