法話 いつ死んでも満足な人生
今日は「無常」という言葉についてお話したいと思います。
無常という言葉には2つの意味がありまして、1つは「ああ、季節が移り変わっていくなあ。このあいだ春やと思ってたのに、もう夏やなぁ」とか、そういう移り変わり。どんどんどんどん変わっていくなぁ、ということがあります。
もう1つ。もっと大事なことは、私が死ぬということですね。私がいつ死ぬかわからないということがもう一つの大事な無常なんです。今日はそちらについてお話したいと思います。
私はこの間、日本に帰っておりました。でもですね、実は前日、飛行機に乗る24時間前に、ちょっとした事故がありましてね。
ここで49日のご法要をしておりまして、夕方4時ぐらいだったんですね。で、明くる日は出発という時にですね。こちらに階段があるんですけど、ほんの3段ぐらいの階段ね。もうこれが最後の法要だなぁと思って、こう、お位牌とかを上げて歩こうと思った時に、「パッ」と視界が変わったというか、「ダダダッ」と落ちたんです。
何が起こったんだ、と思いましたね。靴下が滑ったんだろう、と思ったんですが。
その時、すごい時間を感じました。私はもう日本に帰れないんじゃないか、とかね。
こんな勢いで落ちて、頭でも打ったらどうなるんだろうか、とね。一瞬なのに、ばばばーっと考えましたね。
で、ここにダーンと落ちてですね、あー思ったよりも大丈夫かな、と思ったんだけど。
ここに、お参りの人々が静かに座っておられたんですよ。そしたら国民性やなぁと思うんですけど、ブラジルの方は、もう全然ためらいも無くぶわーっと助けに来られましたね。
たちまちここが人だかりという感じになって、みんな優しいな、と思いました。「大丈夫か、大丈夫か」とね。そして体を起こしてもらって、水を飲んだ方がいいんじゃないか、とか色々言われてですね。
でも「大丈夫、思ったより大丈夫だから、続けてご法事をします」と言って、ご法事をしました。
そしたら阿弥陀経をあげ始めたときから、どんどんここ(腕)が腫れてきたんですね。で、あららー、と思いながらお経をあげて。
その後、結局マリオ先生にお世話になって救急病院に行きまして。幸い、骨は大丈夫だったんですね、腫れている内出血だけで。
そして無事に日本へ出発ができたんですが。
本当に思いがけないことで、どんなことがあるか分からないなー、っていうことを、つくづく思いました。
そして振り返ってみたら、階段が壊れてたんです。階段が古くなって朽ちててですね。それで私が降りた時に、ガクンと壊れたんですね。
その日は法事でいろんな先生が使われたのにね、なんで私やったんやろう、とも思いました。これはもう、私の番やったんやろうなあ、と。
時間というのは、私たちには全然選べません。私がもしあの時に後頭部とかを打ってしまったら、もう誰も責めることもないというか。もうそういう時が来たら、そうなってしまいますね。それが無常の教えなわけなんです。
そしてね、日本に行きましても、死ぬということを考えさせられました。
いろんな人と会いましてね。久しぶりに会う方がたくさんおられて。そしてもう心がね、苦しくなりましたけどもね。色んな方が変わっておられる。
そして私はブラジルに帰る日に、最後に何を食べようかなと思いました。以前にずっと通っていたイタリアンというかスパゲティのお店があるんですね。京都の寺町あたりにトラモントっていうお店があって、すごく美味しいんです。
お年寄りがされているお店なんですけども、おじいちゃんばあちゃんがね。とてもおいしいところで、知ってる人は知っているという感じのお店。
あのおばあちゃんのお顔を見ようかなと思ったら、覚えていてくださったんですね。
「えー、あんたよう帰ってきたなあ」と言われて。で、おばあちゃんも80くらいになってるんだけど、スパゲティをちゃんとこうやって給仕されてる。
それで、歳をとられたなぁと思ってね。作っているおじいちゃんもね、あー年を取られたなぁと思ってね。
悲しくなりましたね。とても悲しくなって「おばあちゃん、元気? 大丈夫?」って聞きましたらですね、「見たらわかるやろな。元気なわけあるかいなぁ」とね、言われました。もうね、給仕してスパゲティを出した後は、こうじーっとしてる感じなんです。そのぐらいやっぱり弱っておられる。でも働いておられるのね。
そして「でもあんた、久しぶりに来たんだからコーヒー飲んでいき」って言ってくださったんです。やさしいね。でも、コーヒーもすごいゆっくりなんですよ。だから待ってたら飛行機に間に合わなくなるんでね、「もう帰るわ、お母さん」って言ってね、「お母さん、長生きしてね。元気でね」って言いましたら、「長生きかいな。これ以上は無理や」って言われまして(笑)。まぁ、そんな事言ってもすごくかわいいおばあちゃんなんですけど。
とても次は会えないかもしれないという気がして、胸が締め付けられる感じがしたんですね。
だから、私達は年をとっていく時間も止めることができないし、どういうことが起こってきてもそれを受け入れるしかない。そういうことなんだなということを、しみじみと考えさせられた日本の旅でありました。
でも私たちはこの浄土真宗の教えを聞かしてもらって、私もいつ死ぬか分からないけれども、「本当に仏様に出会えて満足の人生であった」、そういうふうに言わせていただける。そういう教えに会わせてもらっているわけです。
だからね、一生懸命聞かせていただきたいなぁと思いました。
(西本願寺ブラジル別院 2018.5)