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法話 阿弥陀仏の計画

法話 阿弥陀仏の計画

 

 

第十二願(光明無量の願)
たといわれ仏を得たらんに、光明よく限量ありて、下百千億那由他の諸仏の国を照らさざるに至らば、正覚を取らじ。
 
第十三願(寿命無量の願)
たといわれ仏を得たらんに、寿命よく限量ありて、下百千億那由他劫に至らば、正覚を取らじ。

ただいま読ませて頂きましたのは、阿弥陀様が建ててくださった12願と13願です。光明無量・寿命無量というところですね。阿弥陀様は光が無量にあり、寿命がもう無量にあるということなんですが。

 

先日質問を受けました。

「阿弥陀様は何をしているのか? 日頃、私たちの生活で何をしておられるのか」

という質問を受けたわけなんですね。

 

カトリックや他の神様など、たくさん他の宗派もありますが、守ってくださるっていうのはよく言いますね。

 

交通事故に遭いそうになったところを助けてくれた、とかね。自分が人間関係ですごく困っていてどうにもならなかったところに神様の助けがあった、とか。

 

では「阿弥陀様は側におられる」というけれども、一体何をしておられるのかなぁ? と、そういう質問でした。

 

それで、その一つの答えが、この光が無量にあり命が無量にある、というが一つあると思うんです。

 

光が無量にある阿弥陀様だいうことは、皆さん、今光がこっちから差してますね。あたたかいですね。

 

光があるということは、ただ明るいだけじゃなくて、あったかい熱があるんです。

 

私達が生きていくためには、どうしても光が必要です。食べるものが育つにも、私たちが暮らすにも、寒かったらどうですか? 光が無かったら。

 

阿弥陀さまの光に照らされることによって、私たちは生かしてもらっているんですね。いろんな植物が育って、それが私たちの口に入るのも、光のおかげ。これがなかったらもう、生きていくこともできないわけなんですね。

 

そしてもう一つ大きなことは、光というのはどこにでも届いていく。

 

光が届きます、無量だからね。この部屋には(蛍光灯の)電気がたくさんあります。電気がついてます。

 

でもこれは、時間がたったらね1個ずつ消えていく。取り替えないといけなくなる。取り替えないといけないとなると、私たちはその時、照らしてもらえないことになりますね。

 

太陽とか星とか色んなものがありますが、必ず限りがあるんですね。

 

でも阿弥陀さまの場合は無量にある。そしてどこでも、私たちがどこにおっても、どんなに私たちが隠そうとしても、この心の中までも隅々までも照らされる。

 

なので「恥ずかしいなぁ」という心が起こってきたり、「そういえばああいうことがあったなぁ」という気持ちが出てきたり。あるいは、ものすごい怒りの心とか、あーまた欲しい欲しい思ってる、とか、そういうことが照らし出されてくるんですね。

 

そういうことにあって私たちが聞法できるわけです。光があるおかげでね。

 

そして命のほうですね。無量に命がある、命がたくさんあるんというんですね。ただ聞いただけだったら、それだけになっちゃいますが。けれども、私たち生きていくのにたくさんの命を取らないといけないんです。

 

食べ物が必要なんです。お米でもパンでもそうですね。他に、私たちは生きていくのに楽しみが必要です。ただ食べるだけじゃなくて美味しいものがいい。おやつもいる。お酒もいるね。できたら美味しいものがいい。

 

いろんなものが命なんですね。その命となってくださっているのが、阿弥陀様。

 

もし命に限りがあったら「少なくなってきたなあ、そろそろあげられなくなるなぁ」ということになります。

 

でも無量にあるから、いくらでも差し出してくださるんですね。もう「あなたが生きるため、あなたが仏法を聞くのに命がいるでしょう」と、最初から分かっておられるんですね。

 

あれが食べたい、これが食べたい・・・そのためには無量の命がいるということが分かっておられる。だから最初からこういう願いを建てられた。無量の命になられた。阿弥陀様のことを「無量寿仏」ともいいます、だから私たちを育むことができるんですね。

 

だからこの阿弥陀様無しには、私たち生きていくのを助けてもらうどころか、こうやって日々生きていくこともできない。そういうことなんです。

 

「生かされて生きる」と簡単に言いますけれども、そこにはこれだけ深い、阿弥陀さまの最初からの計画があるんですね。「こうしないとダメであろう」という願を建ててくださった。これが12願・13願。

 

けれども、こういう願いを建ててくださっているのは阿弥陀様しかいないんですね。お釈迦様が一番有名ですね。他にも仏様たくさんおられます。でも仏教を聞き始めた頃はどうでしたか? どの仏様もありがたくてそんなに違いが分からなかったりしませんでしたか?

 

あるいは、この地球上に生まれたお釈迦様のほうが、花祭りがあったりするから、なじみが深いかもしれない。

 

でもお釈迦様はね、こういう願いは建てておられないんです。お釈迦様は私たちを救うためにこういうことをしますよとは言われていないんです。

 

私たちが救われるには、阿弥陀様しかおられない。そして、本当にね、ここまで思ってくださる、本当の親なんです。本当のお母さんなんです。

 

その事を深く皆さんに知っていただきたい。本当の親様。それがどういう方なのか。

 

こんなにも考えてくださっているのだということを知っていただきたいなぁ、と思いまして、今日は光明無量・寿命無量のお話をいたしました。

 

(西本願寺ブラジル別院 2018.5)

 

 

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略歴


久保光雲(くぼ・こううん)


広島出身。画家、僧侶(浄土真宗本願寺派)。京都市立芸術大学(陶芸科)を卒業。陶器製作に加え画家としての活動も始め、関西・仙台・アメリカにて絵画展を開催。龍谷大学大学院博士後期課程(真宗学)単位取得満期退学。2012年からカリフォルニア州の米国仏教大学院に留学。サンフランシスコやバークレーの寺院で法話を行う。2015年7月よりブラジルにて、開教使(海外布教僧侶)として赴任中。

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