法話 人生という名の酒
今日はですね、お酒の話をしたいと思います。
私はときどき漫画を読むんですけどね、最近子どもたちと読んでいるのが『東京タラレバ娘』という、3年前ぐらいに日本で流行った漫画なんです。
『東京タラレバ娘』 wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%82%BF%E3%83%A9%E3%83%AC%E3%83%90%E5%A8%98
『東京タラレバ娘』 amazonページ
https://www.amazon.co.jp/dp/406340935X
その漫画の中で、お寺の門のところによくある法語が書いてあり、それが紹介してあったんですね。
それが面白かったんですが、
「人生一生、酒一升、
あるかと思えば
もう空か」
ということなんですね。
人生は一生って言いますね。そして酒一升っていうのは、この一升瓶のこと。大きいビンに入ったお酒がありますが、あれが一升ビン。この大きな一升ビンだから「まだあるやろう、まだあるやろう」と思いながら、お酒を飲むわけです。たくさんあるからまだ何日間分もあるだろうと思ってたのに、パッと見たらもうビンが空なんですね。いつのまにかお酒が無くなっている、と。
「いつの間に飲んだんだろうか?」と思うけれども、実はこの人生もそうですよ。
この人生はあっという間に、「あれっ」と思ったときには空になっている、人生も終わりが来ていますよという方語なんですね、これは。そういう言葉が書いてあった。
でもその漫画はねえ、女の子向けの漫画なんでね。人生は短いですよ、あなたが若いのはね今のうちだけですよ、と。結婚したいなら早く頑張りなさい。就職したい、仕事したいなら早く頑張りなさい、と、そういうことで書いてありました。
しかし法語としては、そうではありませんね。
この命、いつ終わるかわかりませんよ。「あら、もう空っぽだ」っていう風に、いつのまにか終わってますよということなんです。
それでこのお酒なんですが、まあ楽しいものですね、お酒の場っていうのは。私も好きです。楽しいお酒っていうのはいいものですね。
うちの父親もお酒が大好きだったんです、それも明るいお酒。飲むとますます楽しい話がいっぱい出てくる、というようなお酒だったんです。で、たくさん飲みたがってね。こっそり注ぐわけです。みんながテレビ見ていたら、そーっと後ろにいってね台所に行って注ぐんですね。
で一升ビンから注ぎますとね、「とくっ」て音がするんですね。すると母がパッと振り返るわけです。そして「また注いでる!」、そういって、まぁ怒られるわけですね。父は「これは『とくっ』というのがいけんのう」と言っておりましたけどね。
そんな楽しい父でしたが、晩年になったらそんなに楽しいお酒じゃなくなってきたんですね。体が弱くなってきましたから、ちょっと言葉が乱暴になったりとか、あるいは飲んだのに「飲んでない」と言ったりとか。なんかあんまり楽しいお酒でなくなって、悲しい感じになってきました。
でもこれは、お酒が悪いという話をしたいんではないんです。
仏様の目から見たら、このお酒というものがなくても、たとえお酒を飲めない人でもね、私たちは「人生」というお酒に酔っている。私たちはお酒を飲まなくても酔っ払いである、というわけなんです。
たとえお酒がなくても、私だったら子供ですね。娘が可愛いという愛情に溺れております。それで見えなくなります。
いろんなことがあると思いますね。
お金儲け。出世がしたい。大きな家が欲しい。車が欲しい。子供が欲しい。彼氏が欲しい。
いろんなことで夢中になって、本当のことが見えなくなっている。そういうことに夢中になっていて、どんどんどんどん、人生というお酒が減っていってるのに、それに気づかない。
相変わらず「まだお酒はある、お酒はある」と思って飲んでいる。
そのことを仏様がね、「それでいいのか、それでいいのか。もう終わってしまうぞ。お前の人生というお酒は終わりやぞ」と、そういうふうに言われているんです。
そのことを私たちは気づかせてもらう場にいるわけです。
普通こういうお話は、世間では聞かないですね。でもこの場に足を運ばせてもらっているんですから、私はどんなお酒に酔ってるんだろう? 私はどんな酔っ払いなんだろうか? そういうことをねぜひ考えてみていただきたいなと思いまして、今日はお酒のお話をいたしました。
(西本願寺ブラジル別院 2018.5)