結論
本論文においては現在ほぼ無名である伊藤康善に注目し、その業績を真宗教学史的に捉えて再評価することを目的とし、複数の角度から論じてきた。まず、各章で論じた内容を以下にまとめておく。
第一章ではアメリカの代表的心理学者であるウィリアム・ジェイムズを取り上げ、その著作『宗教的経験の諸相』から学んだ。これは伊藤を教学史的に再評価する際に、ジェイムズの方法論および視点を適用することを目的としたものである。同書の特徴は主に二点あり、一つ目は、たとえ奇異に思える宗教体験であっても価値を認めて検討するというもの。二つ目が、自己の罪悪に苦しむ者が救済によって生まれ変わるという「二度生まれ」の観点であった。これらは後の章において活かされることとなった。
第二章においては、伊藤の布教の最優先事項ともいえる獲信について検討した。「二度生まれ」の観点をもって獲信について考察した場合、それは親鸞の師・法然が、約三十年にわたる修行の後、四十三歳で阿弥陀仏に救われたこと、および、親鸞が二十年間の比叡山での修行を捨て、法然の元で阿弥陀仏に帰依して救われたことは、「二度生まれ」と同様の特徴を持つといえる。この章では最初に、宗祖親鸞や先達の解釈から獲信の定義を見ていき、獲信は他力の行信を得て阿弥陀仏の本願に対する疑いが無くなることであると確認した。
獲信の過程を記したと思われる箇所は、親鸞の著述においては三願転入以外に見出すことは難しい。先哲の解釈を検討した結果、自分は未だに他力信心を得ていないという自覚が、第十八願に転入する要点といえることを見出すことが出来た。そして、現代では真宗の聞法者は、親鸞のように聖道門の修行などを実践することは、基本的にないであろう。しかしながら、それと似たものとして、阿弥陀仏の本願に対する疑惑心を抱き、苦悩を経験する。
さらに、親鸞教義において、獲信への具体的な導きが少なく、親鸞自身の詳細な体験の記録を残していないことが、異安心発生の一因となっているのではないかと指摘した。そこで、自己の獲信体験を記録し、そのプロセスを示して、実際に布教の成果をあげた伊藤を第三章~第五章で取り上げた。
第三章では、まず伊藤の生涯や時代背景、また布教実績を確認した。伊藤の求道体験記には、奇異に思われる場面が多数記されているが、前述したジェイムズの『宗教経験の諸相』の視点をもって、体験記の価値を認めて検討を行った。伊藤本人の求道体験記『仏敵』には、求道の具体的な経緯を記してある。伊藤の獲信までの過程を同書に追い、獲信後の悩みを記した『善き知識を求めて』において、伊藤の教学が形成されていく様子を見た。
第四章では、伊藤の布教者およびジャーナリストとしての側面を検討した。伊藤は獲信後に布教を始め、その文章力で仏教ジャーナリストとして活躍した。また国嶋病院での布教を通して、結核患者や病院関係者を獲信に導いた。これらの活動が後に、華光会の創立へとつながっていく。伊藤の布教を貫く課題は、自力と他力の廃立という点にあったことは、彼の特徴といえるであろう。
第五章では、伊藤に対する批判を取り上げた後、近代の真宗布教者と比較した。伊藤には、異安心であるという批判が多い。その批判が妥当であるかどうか、大原性実『眞宗異義異安心の研究』などを参照して検証した結果、異安心には当たらないことを確認した。のみならず、伊藤が善知識だのみや一念覚知に陥ることを警戒していたことを見てきた。近代布教者との比較では、近角常観、大沼法龍、羽栗行道を取り上げることで、伊藤の突出した点が見出された。それは伊藤が、煩悩心(罪悪)、自力疑心、他力信心の違いを、それぞれ明確に把握していた点であった。
そして伊藤の著書群から、その具体的な布教方法および獲信への過程を考察した。本論で繰り返し登場した「自力と他力の廃立」「捨て物と拾い物」について、改めて整理し論じた。その次に「黒い心、暗い心、白い心」の比喩を取り上げ、自力と他力の廃立を図を交えて説明した。そして伊藤が求道において重要視していた示談について検証し、伊藤が求道者に対し、自力疑心が取り払われるよう働きかけていたのではないか、と考察した獲信への過程として、求道者の持つ自力疑心が取り払われるような働きかけをすること、という結論を得た。
第六章では、ビハーラ活動や真宗カウンセリングなどを展開した西光義敞を取り上げた。まず彼の生い立ちと、生涯にわたる活動の原動力となった宗教体験を確認した。そして、アメリカの心理学者カール・ロジャーズのカウンセリングと出会い、西光は真宗カウンセリングを提唱したが、それは他力信心が前提となるものであった。また実践的な法座形式も提示しており、西光は、伊藤の布教が社会的に価値の高い展開を見せた好例といえるだろう。
さて今回、ウィリアム・ジェイムズの『宗教的経験の諸相』における方法論・視点をもって、伊藤の再評価を試みた。繰り返し述べている通り、伊藤の残した体験記に奇異に思われる記述が多数あることから、異安心ではないかという批判のあることは事実である。しかしながら、そのような先入観を一旦外してから客観的に検討したところ、真宗教学史において新たな位置づけを得られるだけの功績が伊藤にはあったのではないか、と思わざるを得ない結果となった。
一例を挙げれば、大原性実が『眞宗異義異安心の研究』で、「一般求道者は信の證驗を求める心がしきりにうごくのである」と指摘しているように〈1〉、聞法者の中に「はっきりしたものをつかみたい」という願望があり、それが異安心発生の一因となっているというのは、その通りであろう。もちろん、ある団体が聞法者を異安心に誘導するなどは言語道断である。しかしながら、聞法者自身の中に潜在的に、明確な手応えを欲する要素があるといえるのである。第五章で論じたように、伊藤がこの危険性を自覚し、聞法者を異安心に陥らせないよう配慮していた点において、浄土真宗の布教者にとって伊藤の態度は参考に出来るものだといえるのではないか。また、国嶋療法を通じて、死期を目前にした結核患者に布教し、獲信に導いたことは、ビハーラ活動の前身ともいえるのではないだろうか。
求道者に対して自力と他力の廃立を説き続けた伊藤であるが、その活動の成果は次の世代で大きく花開いた。伊藤の著書『仏敵』を縁として獲信した西光義敞は真宗カウンセリングを提唱し、理想的な法座形式を明確に定義した。西光の提示した真宗カウンセリングや法座形式は、浄土真宗の門徒・僧侶・寺院、そして一般社会にとっても価値あるモデルケースだといえる。現在は宗教離れが進み、浄土真宗を含む既存仏教の存在意義が問われている状況にある。西光はそこへ、阿弥陀仏の本願を喜ぶ真宗者によるカウンセリングという、新たな活路を見出した。これはストレス社会といわれる現代日本において、社会的に意義の高い活動といえるであろう。また、形骸化し勝ちな法座活動において、目指すべきところを明文化したことも評価に値するのではないか。
ここで留意したいことは第六章で論じたごとく西光が、法座形式だけでなく、真宗カウンセリングにおいても、その土台を他力信心としている点である。それは、真宗とカウンセリングを融合させる理由を説明した次の文に明らかである。
本願によびさまされて念仏の信心を得た者が、「自信教人信」というか「常行大悲」の精神に動かされるとき、人ははたらきかけ、人と関わらざるをえない。とりわけ心病む人、苦悩にさいなまれる人に心が向くのは自然である。言葉を変えていえば、援助的人間関係のなかに入ろうとするのであるが、カウンセリングはその人間関係の特質を、さまざまに明らかにしてきている。真宗の精神は、現代社会においては、カウンセリングという援助的人間関係のなかに、もっともよく生きるのである。〈2〉
また、繰り返しになるが、西光が積極的に関わったビハーラ活動においても「ビハーラ実践活動にたずさわる者にとって、真宗カウンセリングの理解と体得は欠かせない。ビハーラ実践活動者は、真宗カウンセラーでなければならないと思う」〈3〉とあることから、西光にとって他力信心がいかに至要たるものであったかが窺える。
これらを考慮する時、浮かび上がってくるのが伊藤の布教である。西光自身も他力信心を得る難しさに言及しているが〈4〉、もしも西光が『仏敵』と出会わず、その後の長期間にわたって他力信心を獲得できなかったならば、真宗カウンセリングなどの功績は生まれ得なかったのではないか。また、西光が提示した法座形式は、伊藤が法座における重要事項として取り上げた三量批判を、詳しく説明したものである〈5〉。華光会においては、三量批判を重視した法座を展開している〈6〉。両者の存在は、伊藤の活動がいかに後進に大きな影響を与えたかを示す好例といえよう。
ジェイムズの『宗教的経験の諸相』にならって、伊藤の功績とその発展型といえる西光を見ていった結果、一つのつながりを見出すことが出来ると筆者は考える。ジェイムズは、何よりも個人の宗教的経験を重視し、二次的に生まれてきた教会・組織・儀式に対しては、二番煎じのものであるとして軽視した。ジェイムズによって宗教的経験という言葉が生まれ、初めて教会・組織・教義を離れ、個人の超越的存在との体験が光を当てられた。そのことは大きな意義のあることである。
しかし本論でみたように、ジェイムズが組織や儀式を軽視したことに対する批判は多い。個人の経験が大切だとしても、組織や儀式なしには、到底宗教と触れ合う機会もなく、個人が宗教的体験へと至るきっかけも失われるであろう、という指摘である。
伊藤はジェイムズの『宗教的経験の諸相』に注目し、経験を重視することに共感していた。その影響もあると推察されるが、多くの体験記を残した。さらに西光は、伊藤を善知識として獲信した。さらに西光は、ジェイムズが批判したところの組織・儀式のあり方について、真宗カウンセリングを通じて、改善策を打ち出している。さらにその組織に対して、宗教的経験の発生を促進する場としての、新たな価値を提示した。
ジェイムズが『宗教的経験の諸相』を通して目指したことは、現代人が宗教離れしていることに対して、もう一度宗教が最も根源的に重要なものであることを喚起し、宗教の価値を取り戻すことにあった。しかしジェイムズは、個人の経験の素晴らしさを提示することはできたが、個人を宗教的経験に導く具体的な方法を提示するまでには至っていない。ジェイムズは宗教を非常に重要なものと見なしたが、特定の宗派の超越者を信仰したわけではなかったため、個人を特定の宗教的経験に導く文章を記さなかったことは当然といえるかもしれない。
一方、伊藤―西光の流れは、現代人に向けて、宗教的救済に至るプロセスを具体性をもって提示しているといえよう。また、宗教組織をジェイムズのいうところの形骸化した二番煎じに終わらすことなく、それを社会に普及させる仕組みをも提唱している。このことは、大いに評価されるべき事柄であると筆者は考える。
本論では「近代教学史にみられる獲信解釈の研究」として今回、ウィリアム・ジェイムズの『宗教的経験の諸相』における方法論・視点をもって伊藤の再評価を試みた。その結果として、新たな伊藤の姿が浮かび上がってきた。一般的に一念覚知などの異安心だと批判されてきた伊藤が、むしろ、一念は凡夫には覚知できないと断言し、何らかの不可思議な体験を獲信として捉えることの危険性までも警告していた。古来より仏教において信仰を図る基準とされてきた三量批判を用い、親鸞の説いた信疑廃立を要にした布教者としての態度は、正統なものといえるのではないか。
そして、もう一つの伊藤の特長は、後継者を育てたことである。本論においても近角、大沼、羽栗と比較したが、この三者ともに自分の信仰活動を引き継ぎ発展させるような後継者を育てることができなかった。本論では増井と西光の活動を、伊藤の後に続くものとみて検証した。増井は伊藤が発足させた華光会を忠実に守り、同会をさらに拡大、発展させた。会員数は増加したが、現在も伊藤の著書を布教に使用しており、教え自体には大きな変化は見られない。「自他力廃立」「後生の一大事」を重要視して布教活動を続けている団体であり、機関紙には求道体験記が掲載し続けており、現在も獲信体験者を輩出していることが窺える。これらを鑑みるに華光会は、伊藤の教えが途切れずに現代まで継承されている証左といえよう。
また同会は、西光が提唱した真宗カウンセリングを取り入れたことで、より現代人に適した信仰活動を展開している。さらに檀家制度を持たず、いわゆる法事仏教・葬式仏教に陥ることなく運営がなされていることは、現代の寺院組織において学ぶべきものがあるといえよう。
近代教学史において、無名であった伊藤にこれらの功績を見出せたことは、本論の成果だと筆者は考える。
なお親鸞会については、前述したように高森顕徹は伊藤の元で布教活動をしていた時期もある。ところが高森が親鸞会を設立した後、両者の交流は途絶しており、親鸞会から発行された高森の著書には、伊藤康善を師とする旨の記述は一切見られない。また会員に対して積極的に宿善を求めよと指導するなど〈7〉、伊藤の布教には無かった表現が多数存在する。従って親鸞会は、伊藤によって誕生および拡大した団体というよりは、高森独自の活動によるものと見るのが妥当であろうと筆者は考える。
また今回、真宗学の博士論文初の試みとして、無名である個人の体験を重視し、多数の体験記を詳細に検討するという方法論を採用した。これまで著名な妙好人の体験記が取り上げられることはあったが、無名の真宗信者達の体験記は埋もれたままになりがちであった。しかし今回の方法論により、彼らの体験に光を当てる結果となった。これは第一章で述べたように、ジェイムズが言うところの「いかに深遠な公式であろうと、そのような抽象的な公式を手に入れるよりも、特殊な事実に広くなじんだほうが、ずっと私たちを賢くしてくれることが多い」という信念に従ったものである。
ジェイムズは、このように語っている〈8〉。
そんな発作的な信仰心などは健全なものではない、とそういう読者は言われるであろう。しかしながら、もしそういう人々が辛抱して最後まで読んでくださるならば、そういう好ましくない印象も消え去るであろう、と私は信じている。
筆者は本論において奇異に見えるような宗教体験を多く取り上げたが、伊藤の教学解釈を論ずることによって、そこに意味を見出せたのではないかと自負している。
ジェイムズが『宗教的経験の諸相』で目指したことは、宗教が形骸化していた当時の状況において、超越者と個人が宗教的体験によって直接結びつくことができる可能性を明示することであった。現代の浄土真宗寺院も、そのほとんどが法事と葬式を中心としたものとなり、現代人の関心を失いつつあることは否定できないであろう。しかし本論で試みたように、個人の体験を重視し分析していく方法論をもって浄土真宗を見直すことは、個人と阿弥陀仏との間に架け橋をかけ、獲信への羨望を育てることになるのではないか、と筆者は考察する。
伊藤は広範にわたる著作を残しており、本論では検討できなかった文献も多数存在する。今後、さらに伊藤の思想と教学の分析を進め、個人の体験を取り上げ研究していくのが筆者の課題である。
結論の参考文献
1 大原性實 『眞宗異義異安心の研究』 三九八頁。
2 西光義敞 『育ち合う人間関係』 二一九~二二〇頁。
3 西光義敞 『育ち合う人間関係』 一九七頁。
4 西光義敞 『育ち合う人間関係』 二七八頁。
5 西光義敞 『育ち合う人間関係』 二八八頁。
6 増井悟朗・西光義敞 『無碍道』 八四頁。
7 高森顕徹 『白道燃ゆ』 二一二頁。
8 William James, The Varieties of Religious Experience, pp. iii-iv. ⅲ~ⅳ. 枡田 啓三郎(訳) 『宗教的経験の諸相』上、九頁。
次ページ → 参考文献・参考論文一覧