第一章 第三節 『宗教的経験の諸相』の書かれた時代背景
ウィリアム・ジェイムズの『宗教的経験の諸相』が出版されたのは、一九〇二年である。ジェイムズがこの書を書くことになった宗教的な時代背景を、堀雅彦の論文「せめぎあう健やかな心と病める魂」より、アメリカの植民地時代から見ていく。堀は、ジェイムズがしばしば、個人の体験を重視するあまり、社会的な視点を失っている、との批判を受けることに対して反論している。ジェイムズは社会の宗教的な流れを充分捉えた上で、『宗教的経験の諸相』を記している、と堀は主張する。ここでは堀が示唆しているアメリカの宗教的な時代背景を参照する〈4〉。
ジェイムズは人間を「健やかな心」と「病める魂」という反対の体質を持ったものに分ける。「健やかな心」とは、生まれながらに人生に対して肯定的に生きることができる人である。生まれてきたことにおのずから喜びを感じ、感謝と賛美の日々を送ることができるタイプの人間である。それに対して「病める魂」の持ち主は、自己の罪悪性に悩み、自らの生を肯定することができない。何のために生まれたかを模索するタイプの人間である。このことについては後に詳しく述べる。ジェイムズの目にはアメリカの宗教の歴史が、これら二つの体質の求める宗教がせめぎあう歴史として映っていた、と堀はいう。
アメリカでは植民地時代、宗教は主に厳格なピューリタニズムであった。アメリカ独立後に勢いを増してきたのが、プロテスタントから生まれてきた健やかな心の宗教である。ジェイムズは『宗教的経験の諸相』を記す以前の五十年の間に「健やかな心」である宗派が芽生えてきたという。リベラルやリベラリストといった形容が神学者の間で好ましいものとされていた。ジェイムズはユニテリアニズムとマインドキュア運動をその代表に挙げ、特に個人としてはテオドル・パーカー(一八一〇~一八六〇)とラルフ・ワルド・エマソン(一八〇三~一八八二)をその例に挙げる。テオドル・パーカーは後に、ユニテリアン過激派を創り、エマソンは超越主義という組織のリーダーとなっている。
しかし、よりジェイムズが注目しているのはマインドキュアの思想である。プロテスタントなどのあまりに人間を悲観的に見る宗教に反発し、自然な人間の姿を好意的に見ようとするのである。「くよくよ無用運動」という声が聞かれ、「若さ!健康!元気!」と復誦し、家庭に明るさを取り戻した面もある。しかし、病める魂の根源的な悩みには応えていくことが出来ない、とジェイムズは指摘する。
また『宗教的経験の諸相』の書かれた頃は、ピューリタニズムの第三次信仰復興運動の時期にも当たる。ジェイムズと同世代の第三次の活躍者には、会衆派伝道者ドワイト・ライマン・ムーディ(一八三七~一八九九)がいる。こうしたアメリカの信仰復興運動の始まりは「大覚醒」の中心であったジョナサン・エドワーズ(一七〇三~一七五八)である。エドワーズは信仰の感情的な要素を重視し、政治的・制度的な努力よりも廻心体験者の増大によって「神の国」がもたらされると考えた。しかし、ジェイムズはエドワーズに対して批判的な意見も持っている。その批判とは、エドワーズにおいては、廻心が突如として起こるか、緩慢な仕方で起こるかが、真偽の基準となっていること。さらに真正の廻心体験を持たない者を教会員として認めないという強硬方針である。それは、排他性・選民精神ともいえるものだとジェイムズの目には映った。
このような社会的な状態において、ジェイムズは必然的にこの書を記した、と堀はいう。従ってジェイムズは、当時の社会的な精神構造を十分に見据えた上で、『宗教的経験の諸相』を著述したものといえる。筆者は、堀が表現している当時の社会問題について、宗教が十全に機能しているとは言い得ない現代の日本においても同様の事態が見られると考察する。