第一章 第四節 『宗教的経験の諸相』の書かれた意図
ジェイムズは『宗教的経験の諸相』を、どのような意図をもって記したのであろうか。彼は執筆の目的をこのように述べている〈5〉。
私が自分に課した問題は困難な問題です。第一には「哲学」に反対して「経験」を弁護し、それが世界の宗教的生活の真の背骨であることを論ずること、第二には、聴衆あるいは読者に、私自身が信じざるをえないことを、すなわち、たとえすべての宗教の特殊なあらわれ(つまりその教条や理論)は不条理なものであったにしても、しかし全体としての宗教の生活は、人類のもっとも重要ないとなみであることを、信じさせることです。ほとんど不可能に近い課題で、私には果たせないかもしれません、けれども、やってみるのが私の宗教的な行為なのです。
ジェイムズの記述から、当時のアメリカにおける宗教離れの様子が窺える。まとめると、ジェイムズが自分に課した課題は以下である。
(一)論理に偏りすぎな哲学に対して、実際に自分の身に起こってくる経験をより重要視し、それが宗教生活において最も大事なことであると論じる。
(二)ジェイムズ自身が、人生において最も重要なものは宗教であると考えていた。例えそれが一般道徳や科学から考えて不条理に見えても、宗教的生活を全体としてみた場合、それは人類の最も重要な機能にほかならないということを、人々に信じさせたい。
これらより、ジェイムズの人類に対する深い愛情と、幸福を与えるための決意が窺える。このことは現在の日本においても為されるべきことではないか、と筆者は考える。
また堀雅彦はこの書物が書かれた目的を、次のように述べる〈6〉。
‥ジェイムズがこの書物のもととなった講義を行なう際に自分に課したのは、最終的には人類全体にとっての宗教的生活の価値を復権するという課題であった。そのために彼は、科学的知識の台頭する今日にあってもなお、「普通の人々」(ordinary man)の生活が、宗教的天才、あるいは広義の神秘家たちの特異な経験との間に密接な絆を保持しているという事実とその積極的な意義を、読者に受け容れさせようと試みているのである。
ジェイムズは宗教が多くの人々にとって習慣化され、儀式と化していることを非常に残念に思っていた。特別な宗教的天才だけではなく、宗教は普通の人々にも体験的に働きかけるものであることを示したいと、願ってやまなかったのである。何らかの宗教を信じこの世を超越したものと共にあることの素晴らしさを、ジェイムズは復権したかったのである。
また『宗教的経験の諸相』を翻訳した桝田啓三郎は、ジェイムズの弟子であるラルフ・バートン・ペリー(一八七六~一九五七)の手紙に言及し、ジェイムズが同書を執筆した動機の一つに、父親の影響があることを説明している〈7〉。
ジェイムズの父とジェイムズでは、宗教に対する考えが異なっていた。父親ヘンリーは宗教を唯一大事なものと考えていた〈8〉。ヘンリーはスウェーデンの神秘家、エマヌエル・スウェーデンボルグ(一六八八~一七七二)の思想に傾倒し、霊界を信じた。人間は、神の智と愛を通じて霊界に通じ、死後は霊界に生きることが出来ると考えたのである。ジェイムズは父のように霊界を信じることはなかったし、スピリチュアリズムに徹することはなかった。しかし、父への敬愛の思慕より、父の志を生かし、宗教についての新たな見識を世間に示したかったのである。
しかし桝田は何よりもこの書の成立の目的となったのはジェイムズ自身の精神的不安の問題があったのではないか、という〈9〉。ジェイムズはそれを宗教的憂鬱とよぶ。病める魂の章でジェイムズはフランスの憂鬱病患者の例をあげているが、それはジェイムズ自身の経験を記したものである。ジェイムズはここで、聖書の言葉がなければ気が狂っていたであろう、と語っている。
ジェイムズは、彼自身が二度生まれの人間であることを認めており、なんらかの超越した存在が気が狂わんばかりの憂鬱を救ったという。
筆者は、何よりも個人的な宗教経験を大事にしたジェイムズにおいては、この彼自身の救済体験から生まれた喜びが、同書を仕上げる原動力となったのではないかと考える。自分自身が救われたからこそ、当時の宗教離れが続いていたアメリカにおいて、この書を記さずにはおれなかったのである。