第二章 第二節 三願転入
親鸞は、自身の具体的な獲信の体験を現している文章を殆んど残しておらず、三願転入だけが獲信の過程を現しているように見える。
親鸞の著作にあらわれている獲信のプロセスは、『教行信証』化身土巻の三願転入をおいて他に見出すことは難しい。
ここをもって、愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化に依って、久しく万行・諸善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離る、善本・徳本の真門に回入して、ひとえに難思往生の心を発しき。しかるにいま特に方便の真門を出でて、選択の願海に転入せり、速やかに難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲う。果遂の誓い、良に由あるかな。ここに久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり。至徳を報謝せんがために、真宗の簡要を摭うて、恒常に不可思議の徳海を称念す。いよいよこれを喜愛し、特にこれを頂戴するなり。(『聖典全書』二、二一〇頁)
三願転入について各先哲が問題にしている点を整理すると、以下の通りである〈4〉。
1、三願転入は親鸞自身の宗教体験であるか否か。
2、体験が事実だとすれば、実際に十八願に転入した時期はいつか。
3、三願転入は、我々もまた必ず体験しなくてはならないか。
4、三願転入は、心理的にどのような意義をもつか?
杉岡孝紀は1の問題について、次のように述べる。
私は三願転入の文は「愚禿釈鸞」の語よりはじまっていること、更にそこに記される「今」「永く」「久しく」といった時間的表現を考えると、それは明らかに親鸞の実体験であると見るのが文字に忠実にして自然な見方であると考える。〈5〉
著者も杉岡の記述に賛同し、三願転入は親鸞の体験と捉えて本論をすすめていく。
親鸞の宗教体験とも称される「三願転入」を中心として、まず親鸞の入信に至る体験過程を考察したい。「三願転入」は、数少ない親鸞自身の告白であり、貴重な文章である。そして化身土巻全体の意味を現しているともいえる。ここでは特に親鸞の体験の内実に注目し、現代人にとってどのようなプロセスが読み取れるのか、論じてみたい。
転入の語源は善導の『般舟讃』からの引用である。『般舟讃』の原文は次である。
利剣は即ち是れ弥陀の号なり。一声称念すれば罪みな除こる。(『聖典全書』一、九六八頁)
微塵の故業智に隨ひて滅し 不覚転じて真如の門に入れば (『聖典全書』一、九七〇頁)
『教行信証』行巻では、
利剣は、即ちこれ弥陀の号なり。一声称念するに罪みな除こると。微塵の故業と随智と滅す。覚へざるに真如の門に転入す。 (『聖典全書』二、三五頁)
回入の語源をたずねると、出典は道綽『安楽集』の「第十大門、回向釋義」〈6〉からである。
親鸞の三願観は、本願に対して方便を見ていくという、それまでは考えられなかった独自の見解である。ここで杉岡孝紀の宗教的救済についての文章を参照する〈7〉。
さて、一般に聖典と呼ばれる宗教的な文献が成立する根底には、何らかの意味での宗教体験が存在することは自明の事柄であるといえる。しかしながら、本来、宗教体験は非日常的な出来事、それは言葉を喪失するような驚き、或いは歓喜を伴った体験であるため、普段、私たちが使用している日常言語をもっては容易にその全貌を表現しつくすことは不可能である。
一方でまた、大乗仏教における宗教体験とは、不可言の真理が私の上にすでに顕現している事実に、仏・菩薩の教説を通して遭遇するという、いわば 自覚救済の事実であるから、その意味で体験は必然的に言語的な表現を要求するという性格をもつ。
つまり、宗教体験は表現を求めつつ言葉を超え、表現を超えつつも言語的表現を要求するという矛盾した性格を併せ持っているのである。したがって、宗教体験の表現としての聖典には、一見、矛盾とも映る表現が数多く見られることになる。
十八願、十九願、二十願と、大経には仏になる方法が三つ示してあり、それは矛盾しているようにも考えられる。しかし杉岡の指摘するように、宗教体験は非日常的な出来事、それは言葉を喪失するような驚き、或いは歓喜を伴った体験であるため、言語として表すのは到底不可能なことである。それを親鸞は独自の見解をもって、衆生が救われるものとして示すのである。
三願転入の思想は、第十九願、二十願を方便の願とする理論が無ければ成り立たない。まず、これらを方便の願としたところに、親鸞の発揮がある。それでは親鸞独自の十九願・二十願の解釈は、どのようなものであったのか。
まず十九願について親鸞は、要門釈において、
是をもって釈迦牟尼仏、福徳蔵を顕説して群生海を誘引し、阿弥陀如来、本誓願を発してあまねく諸有海を化したまう。すでにして悲願います。 (『聖典全書』二、一八三頁)
と述べる。このことから、第十九願は如来の悲願によって建てられたものと考えられる。衆生を念仏の道へ誘引するための方便であるといえる。「至心発願之願」とされ、衆生の至誠の願生心を表すものである。
また『散善義』深心釈から引いている。
また決定して「釈迦仏、この『観経』に三福九品・定散二善を説きて、かの仏の依正二報を証賛して、人をして欣慕せしむ」と深信す、と。{乃至}また深心の深信とは、決定して自心を建立して、教に順じて修行し、永く疑錯を除きて、一切の別解・別行・異学・異見・異執のために退失傾動せられざるなり、と。(『聖典全書』二、一九一頁)
釈尊は浄土を願う者の資質に合わせて二善を説き、浄土や阿弥陀仏を誉め称え、人々に浄土を求めさせているのであると、疑い無く深く信じる。第十九願の衆生は浄土を願い自力の信を建立して、教に順じて修行して全ての疑いを離れて、他力の教えと異なるどのようなものにも、退いたり動揺したりしないということである。
しかし、自分を頼りにし自我を頼りにする為に、我執から逃がれることは難しい。
しかるに常没の凡愚、定心修しがたし、息慮凝心のゆえに。散心行じ難し、廃悪修善のゆえに。ここをもって立相住心なお成じ難きがゆえに「たとい千年の寿を尽くすとも法眼未だかつて開けず」(定善義)と言えり。 (『聖典全書』二、一九六頁)
と親鸞が述べることより、それがいかに難行であるか表している。
次に、二十願については、
然れば則ち釈迦牟尼仏は、功徳藏を開演して、十方濁世を勧化したまふ。阿弥陀如来は本と果遂の誓を発して、諸有の群生海を悲引したまへり。すでにして悲願います。(『聖典全書』二、二〇一頁)
これによると、釈尊は念仏を称える功徳により浄土に往生する「功徳蔵」と呼ばれる教えを説き、五濁の者を導き果遂の誓いをおこして他力に引き入れるのである。すでに慈悲の心より二十願が出来ていることが分かる。
では二十願の立場は、というと、
雑心とは、大小・凡聖・一切善悪、おのおの助正間雑の心をもって名号を称念す。まことに教は頓にして根は漸機なり、行は専にして心は間雑す。かるがゆえに雑心というなり。(『聖典全書』二、二〇〇頁)
雑心というのは、大乗および小乗の聖者や凡夫、全ての善人や悪人が、正定業と助業の区別も知らずに疑いの自力の心で称名することである。名号は悟りに至る真実の法であるが、これを修める者が本願を疑う自力の心であると述べる。つまり、名号は専修すべきものであるが、根機に問題のあることを説示している。
信にまた二種あり。一つには聞より生ず、二つには思より生ず。是の人の信心、聞よりして生じて、思より生ぜざる。是のゆえに名づけて信不具足となす。 (『聖典全書』二、八五頁)
信心にはまた二種類あり、一つはただ聞いただけで内容を知らず信じるもの。二つには本願の謂れを聞き分けて信じるのである。ただ聞いただけでは完全な信ではない。つまり、本願の名号を聞きながらもその義をよく聞き分けなければ信不具足であり、第二十願の立場をあらわしている。これらの文章から、二十願とは専修念仏に努めるのであるが、それを我が身の善根とする力が働いていることが分かる。
親鸞は、真門結釈において、以下のように述べる。
悲しきかな、垢障の凡愚、無際よりこのかた助正間雑し、定散心雑するがゆえに、出離その期なし。みづから流転輪廻を度るに、微塵劫を超過すれども、仏願力に帰しがたく、大信海に入りがたし。まことに傷嗟すべし、深く悲歎すべし。(『聖教全書』二、二〇九~二一〇頁)
二十願の衆生は、十九願の定散諸行を否定したはずであるのに、かえって定散心雑するのである。悲しいことに煩悩にまみれた愚かな凡夫は、他力念仏に帰することなく、計り知れない昔から自力の念仏に捉われている為、迷いの世界を生まれ変わり続ける。無限に長い時を経ても、信心の大海に入ることが出来ないのである。真に悲しむべきことであり、深く嘆くべきことであるというのである。
これは、親鸞自身の深い嘆きである。と同時に、この引用の次に三願転入の文があることを考えると、この十九願・二十願の自覚こそが、十八願の真実信に入っていく要といえるであろう。
次に、具体的な獲信のプロセスの見える先行研究に注目したい。これまで、先哲によって複数のテーマについて多くの論が残されている。ここでは、伊藤と同世代を生きた先哲である山辺習学、赤沼智善、普賢大圓の論述をとりあげたい。
山辺・赤沼は『教行信證講義』において、十九願と二十願の自覚ということについて言及している〈8〉。山辺・赤沼の見解は、求道は必ずしも十九願、二十願、十八願の順番で展開するわけではないということである。弘願の自覚は十九願、二十願にあった自己を反省するということである。十九願の自力の諸善を修めているときに、自力のかなわぬことを感じ、自身が十九願にあると痛感するときに忽然と十八願に転入する。二十願でも同じことがいえる。二十願にせよ、そこに立っているときは十八願にあると思い込んでいる。しかし、自覚の痛感の後に弘願に入り、自覚に一念の展開があるのである。そして、この事柄が理解出来るのも、その一念の展開のあった者が、自己を客観的にみて理解し得る、ということである。
普賢大圓もまた『三願転入について』の中で、現代においては必ずしも、三願の過程を順次に経過するのではない、と述べる〈9〉。ただし求道上の実際問題として、必ず自力執心の無効を知り、他力信心に帰入する体験過程を通過しなければならない。これは世善より弘願に入る場合でも、あるいは要門より、あるいは真門より弘願に入る場合でも同様である、と語る。必ずしも三願が順次に展開するのではないにしても、自力の無効を知り、他力信心に帰入する体験過程が必要である、というのである。
現代においては、すでに親鸞の信疑決判の教えを受けているのであるから、我々が聖道門の教えや要門真門の教えを実践することは、基本的に無い。しかし、それに類する境地を経過するであろう、と述べる。現代において要門にあたるものは、「唯除五逆非謗正法」〈10〉を聞いて道徳の実行を試みるものである。我が身の罪深いことを知らされ、さらに努力を重ねようとして益々苦悩に陥るものである。真門にあたるものは、道徳が救済条件ではないことを知り、念仏を専修する場合である。
しかし内心では、救済を信じたり疑ったりする。良い心が起きては、往生するに違いないと思い、悪い心が起きては、往生しないのではないかと危ぶみ、一喜一憂する。疑心自力の状態である。故に現代の私達のように、初めから十八願の教えを聞いていても、それに属する心境を経験することが分かる。
さらに普賢大圓は、三願を順次に経るわけではなく、十八願と十九願が同時に内在して求道者を悩ますという。そして信心獲得ということは、私達が単なる自然的存在としてある限り、不可能であるという。私達は先ず心身ともに人間となり、倫理的反省を持つことによって、初めて宗教への関門が開かれるという。
山辺・赤沼と普賢の見解は、三願転入は段階的に踏むものではないということと他力信心に帰入する体験が必要であること、そして帰入するためには自己を反省することが必要である、という点において一致している。山辺・赤沼の見解では、十九願二十願に立っているときは自分では十八願に立っていると、思っているということである。また普賢の見解は、十九願と二十願が同時に内在して、求道者を悩ますということを明らかにしている。
では山辺・赤沼の、十八願に立っていると思っている、とはどのような状態であろうか? 十八願の三心は一心におさまり、その信楽とは信心の体得である。すなわち、阿弥陀仏をふたごころなく、疑いなく信ずる心を得るのである。したがって、一念の展開が無いにも関わらず、「自分は阿弥陀仏を信じている」と思い込んでいる状態が、十八願に立っていると思っている状態ではないか。
そして、現代における十九願・二十願とは何か? 普賢の指摘の通り、親鸞が歩んだ道のように、我々が自力修行に励んだり、称名に励むことはあり得ない。しかし、それに類する心境は起こってくるのではないか。求道者の「聴聞に熱心ではないから、獲信できない」「聞く気持ちが無いから信心が頂けない」「念仏が自然と出てこないから駄目だ」などの発言に、自力の廃らない、十九願・二十願が一人の人の中に混在している姿を感じる。本願海に転入するまで十九願・二十願はともに存在する。
しかるに『経』に「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あること無し、これを聞といふなり。(『聖典全書』二、九四頁)
とあるように、阿弥陀仏が衆生を必ず救う、と言われることに対して、疑心があるのか無いのか。それを我が胸に問うていくことが、十八願の本願海へ転入する求道への糸口となるであろう。