第二章 第三節 親鸞教義における獲信の過程
親鸞教義においては、獲信へ至る具体的な過程を説明した部分は少なく、三願転入だけが獲信の過程を表現しているように見える。筆者は多くの異安心の問題が起る原因の一つは、この点にあると推察する。すなわち、王本願である十八願によって無上覚を得るという教義が明示されているが、十八願の信心を獲信する具体的なプロセスが明確ではないという点である。
無論、『教行信証』は重厚で広大な構成をもって、獲信の構造を明らかにしているといえよう。信巻に記された涅槃経の阿闍世王の救いも、親鸞の獲信体験の伏線として取り上げているものであろう。しかしこれも、求道者にとって分かりやすいプロセスであるとは言えまい。
具体的な信心への導きが乏しいように見えるのは、宗教体験の持つ性質がそうさせている。獲信の体験は不可称不可説不可思義であり、言葉という媒体を通して表現することは本来不可能である。また、もしも親鸞が具体的な過程を表現していたならば、求道者はその言葉に捕われる可能性も否めない。ここでは、なぜ親鸞が獲信のプロセスを明らかにしなかったのか、を更に詳しく考えてみたい。
理由の一つは、親鸞による門弟への説示が何の為にあったのかということから考察出来る。親鸞の消息等を見てみると、その大半が門弟からの疑問に対する回答である。これは親鸞が関東で布教し、門弟を残してきたことに一つの起因がある。親鸞の関東教団においては、二十四輩が布教の場に立っている。つまり、すでに聴聞してきた者への説示なのである。その結果として親鸞の説示は、邪義を正すものになっている。故に入門的な示しもない。このような当時の状況を、獲信のプロセスを明らかにしていない理由と考えることは出来る。
しかし、そういった状況以上に、親鸞自身の信心の内実にその原因を見ることが出来るのではないか。あえて獲信への具体的なプロセスを表現しなかった理由を考察し、親鸞の信心の内実に迫りたい。
まず『歎異抄』第二章〈11〉を取り上げたい。歎異抄は親鸞の著作ではなく、門弟の一人、唯円によって書かれたものといわれている。よって資料としては認め難い点もあるが、編者の意図が入っているにせよ、親鸞の語り口が窺えることが他の書に見られない特徴であるといえよう。
第二章は、その劇的な設定により多くの読者を引き付けて止まないものである。まず第二章の背景について考えてみたい。藤原凌雪は、門弟達がやって来たのは、善鸞事件によって信仰に動揺を覚えた為である、と述べている〈12〉。梯実圓は、門弟達は善鸞事件によって動揺したので、命をかけて求道しに来た者達であろう、と述べる〈13〉。金子大榮は、善鸞事件や日蓮の影響が考えられるが、本質的に教義的な問題があるという〈14〉。関東で親鸞に聞いてきた教え以外に何か別の教義があるのではないか、という問いを持って訪ねてきた、と考える。
筆者は、第二章の場面は、親鸞という善知識と命がけの求道者達の緊迫した場面であると考察する。親鸞は関東ですでにこの門弟達を指導してきたのである。門弟達はすでに獲信している、と思っていたことであろう。しかしその門弟達は、外的な原因により動揺するような信仰だったのである。つまりまだ獲信していなかったのである。ここではそういった求道者に対する親鸞の善知識としての態度をみたい。
『歎異抄』第二章は、関東からはるばる上洛してきた人々に対して、現在の自己の所信を明らかにしている。この章における親鸞の言葉は、一見して不親切で、問いに対して適当ではないような示しに見える。関東から命懸けで旅をしてきた人々に対して親鸞は、
念佛は、まことに淨土にむまるゝたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん、總じてもて存知せざるなり。 (『聖典全書』二、一〇五四頁)
と答えるのである。
この『歎異抄』第二章の文章は、三つの要素に分けられる。
一、各々の‥‥別の仔細なきなり。
おのおのの十餘ヶ國のさかひをこえて、身命をかへりみずして、たづねきたらしめたまふ御こゝろざし、ひとへに往生極樂のみちをとひきかんがためなり。しかるに念佛よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こゝろにくゝおぼしめしておはしましてはんべらんは、おほきなるあやまりなり。もししからば、南都北嶺にもゆゝしき學生たちおほく座せられてさふらうなれば、かのひとにもあひたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり。親鸞におきては、たゞ念仏して、彌陀にたすけられまひらすべしと、よきひとのおほせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。 (『聖典全書』二、一〇五四頁)
この文で親鸞は、門弟に対して、現在の自己の信じる所を明らかにしている。門弟の問いの内容は「往生極楽への道」である。おそらく教義的な問いがあったのであろう。ここで親鸞は、弟子達の方向違いをまず正している。親鸞は南都北嶺の優れた学者達のことを勧め、自分としては、ただ念仏する以外に他の仕掛けは無い、と言う。
しかし親鸞は、決して学述的に答えられないわけではない。関東で自分が過去に説いてきたこと以外に何も目新しいものは無いのに、門弟一人一人の信はどうなってるのか、と問い正そうとしているのである。学問的な知識として、あれこれ述べることは出来よう。しかし、信仰に必ずしも豊富な知識が必要なわけではない。
重要なことは「阿弥陀仏が衆生を必ず救う」と言われていることに対して、疑いがあるのかないのか、と問いかけているのである。ここで「親鸞におきては」と、主語が親鸞であることに注目したい。単に「私は」という以上に強い口調で、自分の内面をさらけ出しているのである。一人の信仰者として、正面から門弟と向き合っているのである。ここに、門弟を入信へ導いていく善知識としての態度を見ることが出来る。そして親鸞自身として、自分は師・法然の教えを真向きに受けて信順しただけであり、それ以外は何も言うことは無いと語る。
この態度によって、最初は何か他の特別な知識でも、と外に向かっていた意識が、心の内側へと向かう。一人一人が「自分の信はどうなのか」と問うことになる。これは、第二章の最後の文「このうへは‥‥はからひなり」に繋がっている。自分は、「阿弥陀仏が汝を救う」と誓われていることに何の疑いもなく信順出来ているが、あなた方はどうなのですか、と問いかけているのである。
二、念仏は‥‥すみかぞかし。
念仏は、まことに淨土にむまるゝたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん、總じてもて存知せざるなり。たとひ法然聖人にすかされまひらせて、念佛して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらう。そのゆへは、自餘の行もはげみて佛になるべかりける身が、念佛をまふして地獄にもおちてさふらはゞこそ、すかされたてまつりてといふ後悔もさふらはめ。いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。 (『聖典全書』二、一〇五四頁)
ここで親鸞は、自分が他の行を修めて生死を解脱することが出来る人間であったならば、それで念仏を申して地獄へ落ちたなら騙されたという後悔もするだろう、と言う。しかし、どんな善行も修められぬ身である親鸞は地獄必定であり、従って法然上人に騙されて地獄へ落ちたとしても後悔はしないのだという。「念仏は、まことに淨土にむまるゝたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん、總じてもて存知せざるなり」とは、過激とも受け取れる表現である。
しかしこの表現をもって「親鸞さえも、念仏の種で浄土に行くのか地獄に行くのか、分からなかったのだ」と安易に判断するのは大きな誤りである。むしろ「いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」の一文に、大きな意味がある。親鸞には、地獄行きの身であるという明確な自覚があったのである。つまり、罪悪深重の自覚といえる「機の深信」を、我が身の上に見ていたのである。よって阿弥陀仏の本願への信順である「法の深信」と一つに成立していたのである。
たとえ法然に騙されて地獄へ落ちても後悔しない、という表明は、逆に言えば、たとえ法然から「念仏の教えは偽りであった」と言われた所で揺らぐような信心ではない、ということである。このことは、次の教えの真疑という部分に繋がるであろう。親鸞においては、獲信を通して疑いようの無い阿弥陀仏との出遇いがある。その上で、この第二章の「念仏は‥‥存知せざるなり」という言葉が意味を持つ。念仏によって浄土に行くか地獄へ行くかは、親鸞においては問題ではない、ということである。
三、弥陀の本願‥‥はからひなりと云々
彌陀の本願まことにおはしまさば、釋尊の説教虚言なるべからず。佛説まことにおはしまさば、善導の御釋虚言したまふべからず。善導の御釋まことならば、法然のおほせそらごとならんや。法然のおほせまことならば、親鸞がまふすむね、またもてむなしかるべからずさふらう歟。詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。このうへは、念佛をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからひなりと云々。 (『聖典全書』二、一〇五四~一〇五五頁)
親鸞は、阿弥陀仏の本願がまことならば、釈尊の説教が虚言であるはずがない、と言う。続けて、釈尊の教えがまことなら、善導の釈は虚言であるはずがない。善導の釈がまことなら、法然の言葉がどうして虚言であろうか。法然の言葉がまことなら、親鸞の言うことも、また虚言であるはずがないであろう。結局のところ、我が信心はかくの如くである。この上は、あなた方が念仏の教えを信じようと、あるいは捨てようと、それは各自の判断によることだ、と言う。
ここでの問題点は、教えの真偽ということである。念仏の教えの真実なることの論証を、親鸞は「弥陀の本願」から始める。そのことは、弥陀の本願が親鸞にとって動かし難い、絶対的な出発点であることを意味している。
一般的には、教典の真理なることを論証しようとする場合、それが客観的真理であることを説明しようとする。客観的に歴史的事実から説明していくならば、親鸞―法然―善導―釈尊―阿弥陀仏、と遡りながら説明していくのが普通ではなかろうか。
しかし親鸞は、何よりもまず「弥陀の本願まこと」から出発する。それは真理を客観的に証明するのではなく、自らの獲信体験を通して阿弥陀仏と出遇った、親鸞にとっての真実を語っているからである。むしろ「弥陀の本願まこと」が成立しなければ、釈尊らが真実だとしても意味が無いのである。獲信を通して、「弥陀の本願まこと」に対する自力疑心を捨てられたのか、どうなのか。それだけが問題なのである。歴史的実在として確認される釈尊の教えでなければ仏教の教えではない、というような実証的な見方は、親鸞からすれば無意味なものとなるだろう。
関東からはるばる十余カ国を超えて上洛してきた門弟達も、その一人一人にとっての「往生極楽のみち」を問い聞くことが目的であった。客観的真理ではなく、善知識である親鸞自身の主体的真実を聞きたかったのである。それ故にこそ、親鸞は自らの生涯において決定的な意味を持つ獲信について述べ、そこに開発した真実信心に基づく現在の心境を明らかにし、最後に「このうえは‥‥はからひなり」と言ったのである。親鸞はここで、門弟達を突き放しているわけではない。生死は唯一人で越えていかなければならないのである。浄土真宗の信心は「如来よりたまはりたる信心」であるから、あなた方一人一人が受け取ったのか、そうではないのか、決着をつけるしかないと言いたいのである。