第二章 小結
本章においては、伊藤の活動の核でもある獲信について検討してきた。そこでまず、第一節にて『唯信鈔文意』や先達の解釈をみて獲信の定義を検討し、獲信とは阿弥陀仏の行信を得て、本願に対する疑いが無くなることであることを確認した。
親鸞の著述の中で唯一、獲信過程を示していると思われる三願転入については、第二節で先哲の解釈を鑑みながら検討した。その結果として、自己の立ち位置が十九願もしくは二十願であるという自覚、つまり、まだ他力信心を得ていないという自覚こそが、十八願の真実信に入っていく要といえることを見てきた。また、現代の聞法者はすでに親鸞の信疑決判の教えを受けており、聖道門の修行や要門真門の教えを実践することは基本的に無い。しかし、それらに類する境地として、疑心自力の状態などを経験し苦悩する。
第三節では親鸞教義における獲信の過程を考察し、他力信心への具体的な導きが乏しいことを述べ、またこの獲信過程の欠落が異安心発生の一因となっているのではないかと指摘した。
では、如何にして獲信し得るのか。浄土真宗で聞法する者は、他力信心を求める限り、必ずこの疑問にぶつかると筆者は考える。前述したように、親鸞の著作には具体的なプロセスを示す記述がほとんど見られない。その点を伊藤は、自身の信の一念の体験を通して、プロセスを示そうと志し、実際に成果を結んでいる。
この点について次章で、求道者を獲信へ導くことに生涯を捧げた伊藤を取り上げ、その活動の実態を詳しく検討していきたい。
第二章の参考文献
1 『聖典全書』一、四三頁。
2 上田義文 『親鸞の思想構造』 二五頁。
3 上田義文 『親鸞の思想構造』 二二頁。
4 岡亮二 「親鸞の「三願転入」考」 一九一頁。
5 杉岡孝紀 「三願転入の問題」 三二頁。
6 『聖典全書』一、六四二頁。
7 杉岡孝紀 「親鸞の宗教体験と表現(上)―いわゆる「三願転入」の意義―」 三四九頁。
8 山辺習学・赤沼智善 『教行信證講義』真仏土の巻・化身土の巻、一四〇七頁。
9 普賢大圓 「三願転入について」 六一~七六頁。
10 『聖典全書』一、二五頁。
11 『聖典全書』二、一〇四九~一〇七七頁。
12 藤原凌雪 『歎異抄に聞く』 六一頁。
13 梯実圓 『聖典セミナー 歎異抄』 七一~七七頁。
14 金子大榮 『歎異抄講和』前編 七三~八〇頁。