第三章 第二節 第二項 伊藤の求道と獲信(後半)
(3)植島藤太郎からの示談
翌日伊藤は、姉の家で休んでいたが、少し迷ったものの再び野口道場へと向かった。堀尾は危篤状態で、消え入るような息の合間に念仏だけは称えているが、質問を受けても判然と答えられず、目を開けることすら出来ない状態である。見舞いに来ている親戚の者は少しだけで、それ以外は全て仏法の繋がりで来た人々である。彼らは一様に念仏を称えながら、親に対するかのように堀尾に温かい言葉をかけている。それを見た伊藤は、何故あれほど本願を喜べるのであろうか? 堀尾は一体どのような教化をしたのであろうか、と考えるのであった〈42〉。
そこで伊藤は思い出した。伊藤が他力信仰の要を尋ねた時に堀尾が答えた言葉である。これは浄土真宗の教えの重要な所で、誰もが誤りやすい点だからよく念を入れて聞くこと、といって教えられたものである。
即ち真宗には捨物と拾物との二つのものがある。此の自力と他力の廃立をはつきりすれば、信心の水涯も立つと云つた言葉がある。こゝだ! この簡単な言葉の中には無限に深い謎が横はつている。この道理さへ呑み込めたら、自分の亂れた心の底にも沈々として深い金剛の信心が恵まれるに違ひない。よし! 此の教えられた鍵で、俺は久遠の霊の扉を開いてやらう、と思った。 (『仏敵』一一五頁)
真宗の獲信の要は捨て物と拾い物の謎を解くことにある、と伊藤は確信した。しばらしくて隣村の僧侶が、皆と一緒に本堂で仏法の話をするよう、伊藤に声をかける〈43〉。
私は元氣よく立ち上つた。いよゝゝ今だ! と思つて口唇を噛んだ。腹の底から一時に寒くなる様に感じたが、じつと堪えて人々の前へ座った。村の電燈工事が進捗しないので、本堂には薄暗い八分芯のランプが燈つて居た。隅の方ではおばさんを看護する村の尼講衆が數人居た。私の前には、坊さんの外に植島藤太郎様の丸い顔と、植島やゑ様とおみと様と、その外男の人の顔が二ツ三ツ浮かんで居た。全く中有界の寂光を忍ばせる様な底気味の悪い光景である。私は口を切つた。
「一體私は定善散善の自力の行を積んだ者でなければ、他力の信は獲られないと思ふ心があつて仕方御座いませんが、此の心は捨てられるものですか? 或はこの自力心がある儘で窃つと佛智の名號を拾ふのですか」
相談相手は別に誰と云ふ事もなしに、此の問を發した。側に居た植島氏が緊張した顔に唇を噛んで私に話掛けた。
「その心は破られるものです。名號を拾ふ時に破られるものです‥‥」 多分答はそんなものであつたと思ふ。私は、急に寒くなつてぶるゝゝと震へたので、氏が何を言つたのか判然と解ら無かつた。 (『仏敵』一一七~一一八頁)
伊藤が尋ねた内容は、自力の行をしなければ他力信心は得られないように思うが、この思いは捨てられるのかどうか。もしくは、自力心があるままで他力信心を頂くのか? ということであった。それに対して植島藤太郎は、自力心は名号を拾うときに捨てられるものであるという。
「まあ! よく聞く気になってくださいました。一大事の後生で御座います。一大事の後生で御座います」
おやゑ様とおみと様が頭を並べて私の前に平伏した。何だか勿體ない様な氣もするし、哄笑したい様な氣もした。前の晩に一緒に寝た黒田君も何処からともなくやつて來て私の顔を穴のあく程覗いた。私は彼の前に如何に熱心なる求道者であるかといふ事を誇示しようとする野心に燃えた。が、同時にこんな大事の問題を相談する時に、相手の前に自己を飾らうとする態度を恥ぢた。 (『仏敵』一一八~一一九頁)
植島やゑ達は、伊藤が口を開いてくれるのを深く願っていたのであった。伊藤は勇気を出して本音を語り始めたが、そこに熱心な求道者の振りを装いたいという気持ちも起ってくるのであった。
次に何か言おうとしたが、私は全く震へて言葉が出なかつた。早春の夕の氣分が寒かつたが爲めでもあらうが、僧の身分として、殊に最高學府に学んだ僧の身分として、何も知らぬ信者達の前に、自己の無信仰を披瀝する心苦しさに、魂の底から戰いたのであった。 (『仏敵』一一八頁)
伊藤には、自分は僧侶であり最高学府で仏教の学問を修めているのだ、という自負がある。しかし、未信であることを無学な信者の前で晒すことに苦痛を覚えながらも、伊藤は本心を打ち明けていく。
誰かゞ氣を利して植島氏の羽織を取つて私の肩の上にかけた。その羽織の袖を通そうともせず、斜になつて肩から滑り落ち相な奴を正さうともせずに、一心になつて戰きを止め様とした。
「私は‥‥私は‥‥非常にその點で悩んで居ります。この冬にです。學校の先生に言ひました。淨土の依報の荘厳は、寶樹の葉の一つまでも極悪の我等が爲ならぬものは無いと仰せらるゝが、私一人丈は、その如来様の御本願に洩れて居りますと云ひました。それから私の生活は全く悲觀だらけです‥‥」
語らうとするけれども、私の舌は妙に縺れて吃るのである。
「あゝ!」と側の男の人が言つた。 「貴方はなかゝゝ好い所へ出て居る!」
その一言で私は悟つた。此の人達も矢張り、信仰上では深い悩みを經驗して居るに違ひ無いと! 私は彼等に深い親しみを感じた。同時に話には油が乗って漸く舌が自由になつた。 (『仏敵』一一九~一二〇頁)
緊張に震えながら伊藤は意を決して口を開き、自分一人は阿弥陀仏の本願から洩れていると訴えた。そのことに気付いて以降、悲観状態が続いていると告白した。横にいた男性から共感的な言葉をもらった伊藤は、この同行達は自分と同じ悩みを経験してきた人達なのだと安心する。ここで伊藤は同行達に親しみを覚え、積極的に話を進める姿勢へと変わる。このことから、求道する上で阿弥陀仏の本願を喜んでいる同行が周囲にいることは、求道者に自己開示する勇気を与えることが分かる。
「一昨年の春です。私は葉櫻の蔭で、青い大空を仰いで居た時に、恍惚として私の心に訪れた美しい光明があつたのです。よく人が云ふ見佛の實驗と云ふのではないかと思ふのです。二三時間ばかり續いた光躍状態は、その後二週程の間にちらゝゝと心に現はれました」
「それはよくある事です」と植島氏は言つた。 「私等も二十四五の頃に佛法が好きになつて、念仏三昧の日暮で有難い心になつた事があります。然し間も無く立消えて終つて影も形も無くなりました。こんな心を捉へて信心などと云ふのは大きな誤りです。」
これから、私と問答を往復して呉れたのは、この植島氏一人だけで、あとの者は黒い眼玉をギョロヾヽヽと光らせて、私の顔を眺めるばかりであつた。 (『仏敵』一二〇頁)
求道の過程で、時には有難い気持ちが心に溢れることがある。しかし、それは信心とは別物であると植島藤太郎は断言する。
「えゝ! 僕も左様に考えたのです。御開山や蓮如様の人格を根底から動かした信仰と云ふものは、決して私が触れた様なそわゝゝとした輕い浅薄なものでは無いだらう。で色々と苦心を積んで考へた擧句、野宿して我が心を練って見たり、念佛三昧に浸つて見たりするが、段々私の心は法から遠ざかつて行くばかりで、本気になつて火の様な勢で求道しようとする心熱が起らないのです」
「それで只今の後生はどうです!」
「全く解らない。その事で學校の友達とも盛んに論じたのですが、どうも半齧の知識がある者は、率直になつて古人の聖言も信ぜられ無い。‥」 (『仏敵』一二〇~一二一頁)
伊藤はうわついた束の間の喜びが信心ではないとわかっている。野宿をしたり念仏三昧をしてもわからない。学問を学んだせいでかえって、聖教の言葉も無我に信じられなくなったことを述べた。
「それで貴方の後生はどうですか?」
「今出て行く後生が大事や」と合槌打つ者がある。
私は聊か氣遅れした。私が段々と面白い話を持ち出さうと思って居るのに、彼等は私の體驗の世界に理解が無い為でもあらうが、全く興覺めた顔をして居る。私の話は又吃り出した。そしてやつと現在では、信を取るか、死を選ぶかの兩者を何れにすべきかに迷うて居ると答へた。 (『仏敵』一二一頁)
伊藤は自分の求道する気持ちの無さや、学問を修めたせいで聖教の言葉も信じられないと語る。しかし植島の返事は一つで、あなたの今の後生はどうなのか、の一点である。伊藤は、何故皆が自分の話を面白がってくれないのかと気後れし、再び言い澱み始める。植島が重要視しているのは、過去の経験や心情ではなく、現在ただ今の自己の後生を取り詰めよ、ということなのである。
数分の沈黙が續いた後であつた。
植島氏は物を考えて居たらしかつたが、やがて狂犬の様に激しく噛み付いて来た。顔は青ざめて居る。
「貴方は僧侶の身分であるのに、何故に今まで不浄説法をやつて居たのです!」 此の非難は金的を外れた。私は人の前で話をすることが嫌だし、大たい説教等といふ言葉からして蟲が好かぬ。
「私は説教は致しません。御信心を戴くまでは、誰が何んと言つても斷じて説教はしない心意です」
植島は何とか本音を引き出そうとして、攻めるような言葉をいう。信心がないのに説教をすることを不浄説法という。しかし、伊藤は人前で話をするのがいやだし、説教はしていなかった。
「では―信も戴かずに居るとは、寺院に生れた所詮が御座いませんなあ!」
「勿論所詮はありません。私は早晩に還俗する心意です」 この非難も馬鹿げた話だ。寺院生活の機構といふものを知らぬ一般人は、權力もあり信念もあつた徳川時代の寺院と今日と同じやうに考へてゐる。
併し何氣なく還俗する! と言つた一言は、ひどく人々を驚かせたやうであつた。植島氏も一寸呆氣に取られて私の顔を眺めてゐたが、軈て微かな頬笑を浮かべながら言つた、
「なぜ還俗されるのです?」
「何故つて寺院は眞面目に物を考へる人間の棲むべき所でないからです。そこは世の落伍者が怠けて暮す所ですから―」
「還俗してどうします?」
「還俗して人生の巷に飛び出したいのです。人生は修羅道であるが、そこで苦しんでこそ、ほんたうに魂の底から磨きのかゝつた自覺のある人間が出來ると思ひます。世間の人は兎に角働いてゐるから、ピチゝゝと活きてゐます。そこでは氣まりの悪い布施を貰うて生活する必要もなく、有難くもない偶像に跪いたり、呪文のような經文を誦へる必要もありません。あくまで裸一貫で戰わねば活きて行けぬ。戰つてゐる間に人間の魂は自ずから覺めて來る‥」
「自覺するとは?」
「さあ、何んと言つて好いですか。人間性を見つめる心眼が冴えて來るとでも言ひますか。」 (『仏敵』一二一~一二三頁)
伊藤は、還俗するといったことに対して驚く皆を見て、現代の寺院に対する誤解があることを感じる。皆はいまだに、寺院が江戸時代の頃のように寺に権力もあり、信念もあったころのような価値のあるイメージがあると思うのであった。伊藤は寺はものが考えられるところではないし、世間で本当に苦しんでこそ、本当の自覚が得られると思うのであった。
伊藤は、学問で信仰が得られるように思っていたが、それが大きな間違いであることに気付いたと語る。知識や概念が増大するだけで、肝心の魂は益々寂しくなるばかり。現実の世界においてそれらが何の役にも立たないことを痛感し、人間というものをより深く知れば、信仰は得られるのではないか、と続ける。植島氏は伊藤の話を止め、タバコをくゆらせながら、次に伝える言葉を考える。このような対論を初めて経験する伊藤は、落ち着くために勧められたタバコを一本取る。
「・・・貴方は御信心を戴くまでに、世の中へ出てウンと苦しんでみたいと言ふのですか」
「さうです。その通りです」
「ぢや社會的に活動すると云ふ方面から信仰に入りたいのですか」
「いや、僕は社會に活動したいとか、名譽を得たいとかは思ひません。古人の進んで行つた跡をみると、みんな若い頃は修行を積んでゐますから、僕はもつと坐禅修行でもやつてみたいのです」
「それは法蔵菩薩の二の舞や、五劫の思案をして居られる菩薩の頭の上で、貴方も思案を始める心意ですかい! よく言ふことですが、阿彌陀様が四十八願を成就して正覚の佛となられたときに、何故私一人を除け者にして置いて呉れなかつたと申し込まなかつたのです」 (『仏敵』一二四頁)
ここで植島藤太郎は、家を出て自力修行したいという伊藤に対して、それが無効であることを語る。すでに法蔵菩薩が伊藤の代わりに修行を終えているのに、なぜ無駄な修行をしようとするのか、と強い口調で問う。
何を! と私の批判眼は鋭く輝いた。この人も又眞宗獨特の詭辯術を使うて私を愚弄せんとするのか? 現在の生命の問題に惱んでゐるのに、そんな天女が天下つたやうな高踏的な神話が何になるんだ! 自分にはそんな素朴な信仰は、もう遠の昔に亡びかけてゐるのだ。頼みもせぬ五劫の思惟がなんだ! 勝手に名乗りを擧げた正覺の喚び聲が何んだ!
たとへ、それが釋尊の説法であるにしても、そんな生き血の通わぬ象徴的な話を持ち出して、現在自分の救ひは既に過去の神話に於て完了せることを示す。キリストの十字架上の死が、人類の罪惡を救うたと説く牧師の造り話と同様で、論理的矛盾も甚だしい一個のお伽話ではないか。又惱ましい現實刻下の生死の大問題を、言葉の遊戯で茶化せんとするものだ。眞宗には正しき求道の方法を示さずに、信者だけが自分勝手な手造りの教權を喜び、感情の自己手淫をやつてゐるのは眞實であるか? 私はこの理窟に負けてはならぬと思つた。 (『仏敵』一二四~一二五頁)
植島藤太郎が阿弥陀仏の願行について話した時、伊藤は、そのような神話に騙されてなるものかと強い憤りを感じた。長年伊藤は、論理的矛盾のある神話的な教えのみを示し、現在の生死の問題に答えない真宗の説教に、苛立ちを覚えていた。
「私はその點が呑み込めないので困つてゐます。貴方の仰せられた言葉は、たしか七里和上の語録にもあつたやうに思いますが、あの七里和上だつて、さうしたことを言へるやうになる反面、血を喀くやうな惨々たる求道を經て、やつと本願の眞實が解つたのだと思ひます。で私は自力で求めてゝゝゝ最後まで行詰つた時に、始めて廣大な天地が生まれるのだと思ひます」
「さうでせうが、自力で法を求め得られると考へてゐる間は、まだゝゝ身の程も知らず、頭が高い上に、自分の心を買ひ被つてゐるのです。本願に相應する所か、如來なんか突き飛ばして自力で悟ろうと言ふのです」
「えゝ、さうです。私は女の腐つたやうな罪業妄想と、救はれぬ私が救はれる證據であるなんかと、にやけた詭辯を弄する真宗の他力義よりも、男らしい樹下石上の工夫を積む自力宗の方が好きです」 (『仏敵』一二五~一二六頁)
伊藤は、植島の話を聞いて七里恒順(一八三五~一九〇〇。浄土真宗本願寺派、福岡県博多の万行寺住職)の言葉を思い出し、本願の真実が分かるためには非常に厳しい求道の過程を経る必要があるはずだ、と反論する。
「貴方はさうして自力聖道の法を求められると思ひますか」と植島氏は問うた。
「私は求められると思ひます」と、きっぱりと答えた。
「さあ、どうだか?」と苦笑した氏は、
「此の道場の世話をする人の中にも、よく達摩禅の眞似をやる人があつて、或る暗い晩に當麻寺の藪の中へ忍び込んだものです。ところが突然、野良犬に火のやうに吠えつかれて、這々の態で逃げ歸つたと云ふ話があります。ほつほゝゝゝ。又此の道場のお婆さんの話によると、お婆さんの夫が後生を一大事と思ひ詰めたいと思つて、深夜白装束の姿で、白骨累々たる火葬場へ忍び込んでゐた。そこで棺桶を横へる石段の上に寝轉んで、冷い骨に手觸りながら死骸の臭氣を嗅いでゐた。最初の間こそは今にも幽霊が出そうで恐ろしかつたが、姑くすると心の底から、にやゝゝと笑ふ奴がある。笑ふ筈です。此の心という奴は業の力で生きるのだから滅多に死ぬためしがない。こんな恐ろしい心を抱いて悟らうなんて言ひ出すと、とても大変なことですぞ…」
私は堅く腕組み、じつと唇を噛んで氏の話を聞いてゐた。何故、俺は此の大事の求道を始めなかったのだらう。何故二ヶ年間もウカゝゝと文字學問に没頭してゐたのだらう、と激しく我が心を叱つた。 (『仏敵』一二四~一二七頁)
伊藤は、自力聖道門の修行ができると断言した。対する植島は、具体的に自力修行試みたが失敗した求道者達の話をする。いくら自分を追い詰めても、腹の底で「にやゝゝと笑ふ」本心があるという。この心は業の力で生きており、退治するのは到底無理であると語る。
植島の話を聞いていく内に伊藤の中で、今まで自分が求道してこなかったことを恥じる心が出て来たのである。
この後、周りの同行達が伊藤に、いかに求道が難しいかを述べる。その中で伊藤に最も大きな印象を与えたのは、山中で断食修行を決行して最後には飢死した修道僧の話であった。伊藤は今の時代にもそのような熱心な求道者がいたことに感激する。しかし、親鸞のように優れた宗教的天才が求道すれば全ての人々を救う妙法を発見出来るかもしれないが、自分のような鈍い人間がそのような求道をしても無駄であろうと考える。このような絶望的な自分の状況では死んだ方が良いのではないか、と植島氏に話す〈44〉。
「死ぬと云ふやうなことは誰だつて言ふのです。貴方に法が進んで來れば來るほど、だんゝゝ悪い心が出ます。皆私達が通つた道ですから遠慮なく吐き出しなさい・・・」と植島氏はにこゝゝ笑いながら言つた。私は優しい信頼の情を感じた。 (『仏敵』一二八頁)
この植島の発言で読み取れるのは、少なくとも植島が過去に見てきた求道者においては、誰もが通る同じ道筋・プロセスがあるということである。「法が進む」とは、信心を求めて求道する者が獲信に近づくという意味であろう。その過程において次第に凡夫本来の悪い心が出て来るというのである。
伊藤は植島を信頼し、全てを話す気持ちとなった。この植島のように、求道者に心を開かせる同行が、法を進めさせていくのが見て取れる。
「えゝ皆言つて終ひませう。此の頃、私はカーライルの『衣裳の哲學』を讀んでゐるのですが、その中に幽靈の一章があります。カーライルは古墳の中で幽靈に會はうと思つてゐる文學者を笑つて彼こそ生きた幽靈ではないかと皮肉つてゐます。歴史もつまり幽靈の舞踊を綴つたものに過ぎず、現に世界には十六億の幽靈が各自思ひゝゝの熱に浮かされて押し合ひ、へしあつてゐる。さう考えると僕なんかも生きた幽靈で立つて歩く墓碑です。宗教だの、文學だのと云つたつて、白晝の夢ぢやありませんか。解り切つた、すぐに厭きの來る、そんな夢を食ふ幽靈になるならば死んだ遠い世界には、もつと幻怪な夢の世界があるかも知れません―それが尠し巧妙に生きようとする自分の意思を欺いてやれば、半時間の苦悶で到達されることですから……?」
言ひかけて、私はハッと背條に惡寒を走らせた。豫期しない自分の死骸が眼の前に横つたやうな氣がしたのである。その驚きは傷を負うた荒獅子が、水面に寫つた自分の憤怒の相を見て飛び立つやうな驚きであった。 (『仏敵』一二九頁)
伊藤はここで初めて、目の前に自分の死が横たわっているのを感じる。
植島は、還俗するという伊藤を説得するために、堀尾の言葉を伝えた。堀尾が死ぬ間際に一番期にかかっていたことは、堀尾が長年世話になってきた當専寺の跡継ぎである伊藤の後生の解決であったのである。植島は続けて、寺院に生まれた伊藤の仏縁の深さについて語った。浄土真宗の寺で育ち開祖親鸞の威徳によって供えられる御用物で育った伊藤に、信心を頂かずに自力門に走るなどとは恥ずかしく思わないのか、と詰め寄っていく〈45〉。
「貴方は平気な顔をして、佛様の頭の上で胡坐をかいてゐないですか? 恐ろしい佛敵ではないかい…」
「如何にも私は佛敵です!」 と言つて終つた。佛敵と云ふ語音がピリヽと強く私の胸に應へた上に、その言葉が深く私の心持を表現してゐたので、私はすつかり共鳴したのであつた。 (『仏敵』一三一頁)
ここにおいて再び、本の題名である「仏敵」という言葉が出てくる。植島の口から出たこの言葉は伊藤の心を打った。そしてまた、自己の心情を的確に表現したこの言葉に伊藤は共鳴した。時には厳しい植島の言葉によって、伊藤は本心を打ち出し、自己の罪悪に気付いてきたのである。
しかし仏敵という言葉に共鳴しつつも、伊藤はさらに反抗的態度を取っていく。自分の思想は反逆的に出来ていて、仏敵法敵の行為を痛快に思っている程だと伊藤は語る〈46〉。植島は伊藤の態度に反感を示し、語調を荒くした。
・・・愚圖々々と云つて居りますと、如来の御罰を蒙つて終生佛法が戴けなくなりまするぞ。貴方の心には眞黒な罪の塊りの佛敵が住んでゐる。好い顔して身に法衣を纏うた佛敵では無いですか」
「…………………」
「只今出て行く後生となればどうです。臨終を今に取り詰めて考へて見ればどうです! (『仏敵』一三一~一三二頁)
ここまで苦い薬を飲むように植島の言葉を聞いていた伊藤だが、突如として滑稽さを感じ始めた。死後の暗黒を意味するであろう後生という言葉が、非常に古びた陰気なものに感じられ、また伊藤にとって痛切な問題でもないことに気付いた。後生の一大事に対して「私には死後の世界などを考へる頭もなければ又かうした謎が人間の智慧では考へ得られるものとは思はない」といい、「私は眞實に生き得られないために非常に惱み、むしろ死を以て、生を葬らうとさへ考へてゐる」とあるように、如何にして完全に生きるべきかが伊藤にとって最も重要な問題だったのである〈47〉。
しかし、伊藤はすぐに考えを改めた。この「後生が苦にならぬ」ということが、自分の仏道が軌道に乗らない原因ではないか。同行達と対峙した時に、相手の話す言葉は理解出来ても感情を汲み取ることが出来ないのは、ここに問題があるのではないか? と伊藤は推測した〈48〉。後生の一大事に焦点が合ってないことが、他力信心を獲られない原因ではないかと伊藤は考えたのである。
「貴方等は後生が苦になりましたか」 (『仏敵』一三三頁)
後生が苦にならない伊藤は、冷笑的な意味を含めて上のように植島に尋ねた。
「私等の腹の中の詮議は後廻しに致しませう。貴方は只今入る息は出る息を待たぬ程の大無常に押し迫つて居らるゝが、それが露塵程も苦にならないのですか!」
私は此の不遜な質問が氏の感情を惡くさせたことに氣付いた。私は十指の爪先に力をこめて堅く兩腕を拱き歯を食いしばつて眞劍に死滅の時を考へて見た。
と、刹那!無劫の恐怖が私の魂を戰かせた。涯なき生死の大暗黒海が、忽然として私の視野に開けてきた。無人空曠の野原に燃え上る二河白道の火の柱を見て、恐怖の餘り言葉も出ない旅人の心も斯くや―一切の宗教も感情も生命も息詰らせて仕舞ふ「死の黒蛇」が、私の喉元を噛んでゐるのを知つた! これ程の大無常の襲来を一刹那の前に於いて、よくも此の俺といふ奴はウカゝゝと妄念妄想を追うて、貴重の寸陰を送りたる者ぞ! 我が身知らず奴! と激しく叱る聲があつた。私は嚴然と不動の姿勢になつたまゝ、眞劍に我が心を凝視した! (『仏敵』一三三~一三四頁)
その後植島は、自身の入信物語を話し始めた。植島が堀尾と出会ったきっかけは、母親の臨終間近であった。強信で名の通っていた堀尾へ、母親の臨終説法を依頼したのである。植島の母は宿善開発し、阿弥陀仏の本願を喜びながら死んでいった。その後、植島は商売と悪友に親しみ、仏法から遠ざかるようになった。植島は二十四、五くらいまで真面目な仏法者であったが、魚釣りに夢中になり、仏法から離れて十数年が過ぎた。ある時、堀尾の道場に行かねばならなくなった植島は、堀尾から仏法を聞くように勧められる〈49〉。しかし植島は次のように答える。
「佛法も好いには違ひなからうが、私はそれを聞かうとする氣が起らぬ。魚を釣れば好い酒の肴が出来たと思つて喜ぶ丈であり、商賣で利を貰へたら贅沢三昧の日暮を送らうと思う丈である」。
それに答へたおばさんの言葉は簡單であった。
「釣らねばならぬ因縁と定められた魚ならば釣るも好いが、それは今生の事である。出て行く後生の一大事とならば、又窃かに思案せねばならぬ大問題ではないか」。
寸鐡の言は氏の胸を貫いた。この僅かなる言葉のために氏はぐうの音も出なかつた。その晩、数時間餘りも佛前に跪座してゐた氏は、突然身も世もあらず大聲を張り上げて啼き崩れた。更生の日の奇跡は言語に絶してゐた。 (『仏敵』一三五頁)
植島は、自分には仏法を聞く気が無いし、魚を釣ることにも罪悪を感じない、と堀尾に言った。それに対して堀尾は、今生と後生の違いをもって簡潔に答えている。魚を釣ることなどは因縁ごとであり今生はそれで良いが、その生き様によって後生には一大事が待っている、と言うのである。その短い言葉が植島を変えた。その夜、仏壇の前に座っていた植島は、廻心を体験する〈50〉。
その後、丸三年狂うごとくの喜びであった植島は、商売も忘れて仏法を広めることに尽くした。
「ほんたうに其頃の私の悦びたら話になりませんでした。野道を歩いてゐても前に歩く人の後姿を見ると、今にあの人は足元の大地が裂けて、無間地獄へ沈んで行くのも知らずに浮々としたことを考へているかと思ふと、大聲をあげて大地へ啼き倒れるのでした。田で仕事をしてゐる百姓を見ても、あの人達は足を宙に浮かせて迷の姿で働いてゐるのかと思ふと又物悲しくなつて泣き崩れるのです。ほんたうに我々凡夫は浅ましい日暮らしをして何も知らぬが、実に空恐ろしい魔境に棲んで居ります! 入る息は出る息を待たぬ程の大無常ぞ! と示された様に親の御眼から見ると、それはゝゝゝ憐れな態で御座いまするぞ……」 (『仏敵』一三五~一三六頁)
植島の話を聞いた伊藤は、現代にこんな真剣な求道者がいたかと思うと、自分を恥じ入り言葉も無かった〈51〉。植島は、佛法は若いうちに聞けと伊藤に言う。
「私は思ひますが、此の佛法は若い時に聞き開いて居らないと、頭がひねくれて碌でもない小理窟を言ひ出す様になると、もう御終ひで御座いますぜ、貴方も若い時に一大事因縁に気付いて下さいました。どうか此の親の誠心の籠つた六字の寶を戴いて下さい…」 (『仏敵』一三六頁)
若いうちに仏法を聞けという勧めは、伊藤の著作にしばしば見られる。先入観や知識が増えすぎると、獲信することは難しいというのである。
そして植島は沈黙する伊藤に向って、黙っていては心の引っかかりが分からない、とにかく思ったことを言いなさい、吐き出しなさい、恥ずかしいと思うことはない、我等も通った道であるから、と再三口を開くように勧める〈52〉。これと同様の教示は、蓮如の『御一代記聞書』に見ることが出来る。
蓮如上人仰られ候。物をいへいへと仰られ候。物を申さぬ者はおそろしきと仰られ候。信不信ともに、たゞ物をいへと仰られ候。物を申せば心底もきこえ、又人にもなをさるゝなり。たゞ物を申せと仰られ候。 (『聖典全書』五、五五一頁)
蓮如は、信心を得た人も未信の人も発言すべきという。『仏敵』のこの場面で言えば、求道者の発言を聞くことで善知識は助言するべきことが分かる。もし全く黙っていたならば、的確な導きは出来ないであろう。
その後、何度も気持ちを尋ねられた伊藤は、ついにこう言ってしまう。
「私は私の仕事を求めて突き進んで行きます。阿彌陀様には阿彌陀様で、御勝手な仕事をして貰ひます。」と言ふと、
「それでは貴方は御開山と離れて一派を御開きなさい!」と答えたきり、ぽいと座を立つた。
どうして此の方は私をこんなに虐め散らすのであらうと不審に思つた。 (『仏敵』一三八頁)
法を勧める側の人が、求道者を突き放すような態度を取ることは、後に伊藤自身が関わった求道者とのやり取りにおいても見られる。このような態度は、自己の考えに執着しようとする求道者にある種の刺激を与える。中には憤慨して怒りだす求道者もあるが、いずれにしても本心を引き出す、自分の本当の気持ちに気が付かせるためにこのような態度を取るようである。
本堂に残った伊藤に、誰も話しかける同行はいなくなる。どん底に落ちたように感じる彼は、一人にやにやと笑う。さっきまで敬意を持って問答をしていた同行達を軽蔑し、井の中の蛙のようだと称し、蛙の言うことに随分悩まされたものだと開き直る〈53〉。
(4)二つの不可思議な体験をし、獲信したと思い込む
朝方になり同行の勧めにより、伊藤は寝室の夜具の中に入る。しばらくして本堂から同行の騒がしい声が聞こえる〈54〉。それを聞いている伊藤の心境にも変化が起こってくるのだった。
俄かに騒がしく叫ぶ異様な人聲が起つたので、私は驚いて目を覺ました。別室の本堂では同行達が一人の女を法に引き入れようとして、懸命になつて示談を試みてゐた。そうして話が終ると眞實の彌陀の悲心を端的に打ち出した「そのまゝ来いよ、引受けるぞよ」の喚聲をけたたましく發してゐた。私は慄然として我が心を凝視した。それは昨夜と同じく黒暗々たるものである。あの如來の喚聲を聞き開かずば、私は同行達に會はす顔がない。あの喚聲は、室を距つれども私に向つて発せられてゐるのだ。 (『仏敵』一四二頁)
伊藤は本堂で、激しい聞こえる示談の声を聞いて、自分に声がかかっているのだと感じた。夜具の中ではあったが阿弥陀仏に向かって、どうか救ってください、と心底から願求の声を上げた。
私は咄嗟に意を決意した。如來様に對して相済まぬ姿だとは思つたが夜具の中で兩手を合はせた。如來様! この五里霧中に迷う私を何とか救うて下さい! 私は心底からさうした願求の声を擧げた。さうして一生懸命になつて血を吐くが如き痛烈なる同行衆の喚聲を聞いた。その一念! その一刻! その刹那! 私の全身全靈は堂々廻りの苦しさであつた。私の有限の世界は天地が震動した。それは如來の絶對界に突入せんとする大苦悩の刹那である。 (『仏敵』一四二~一四三頁)
阿弥陀仏の救いを願いながら、伊藤は本堂から聞こえる叫び声を聞いた。その時、伊藤の身体に激しい苦しさが迫ってきた。不可思議なことであるが、伊藤はこれが阿弥陀仏の願海に突入する大苦悩の瞬間であると思うのであった。
その後伊藤は眠りに落ち、翌日の正午に目を覚ました。再び考え込んでいた伊藤は、不思議なものを発見した。
その時! 私は不可思議なるものを凝視した。葉巻の先端から悠やかに流れ出た紫の煙が、小さな波紋を描きつつ緑の野邊へふわゝゝと泳いで行く様に、御本尊のいます本堂の方から私の胸の中へ、小さな光輪が後からゝゝゝ流れ込んで來るのである。それは肉眼には見えず、又與へられたる黙示の時間が尊いので、肉眼等を開いて周圍を見ようとする心は起らないのであるが、静に嚴かに何物かの囁きを聞くが如き緊密な心持ちで、じつと落ち着いてゐると、ありゝゝと流れ込んで来る光輪が感ぜらるゝのである。水流光明! さうだ、水流光明だ。觀無量壽經の第八觀にある行者當聞水流光明と云ふのは正しくこれだ! (『仏敵』一四三~一四四頁)
これが一つ目の不思議な体験である。肉眼では見えないが、本堂の仏像から伊藤の胸の中に、小さな光輪が流れ込んできた。伊藤はこの体験から、『観無量寿経』第八観に記してある文「行者當聞水流光明」を想起した。
伊藤はその後、本堂に移動し、仏像と向かい合った。
私は寝室を抜けて出て顔を洗ふと先ず佛前に端坐合掌した。そこでも私は今までとは一新した世界を見た。『安心決定鈔』の 「正報は眉間の白毫相より千福輪の足裏に至るまで、常沒の衆生の願行圓滿せる御かたちなる故に、また機法一體にして南無阿彌陀仏なり」 と云ふ意味が御本尊の姿の上にはつきりと味へる。手を合せて身輪説法の御姿をしみゞゝと仰いでゐると、物言はぬ御佛は、嬉しさ餘つて物を仰言るいとまが無い様である。否! よくゝゝ拝見すると、此の御佛はたゞの金佛ではない。活きて居られる! 人間の如く活きて居られる。人界の私と佛界の佛とは同じ感情の上に活きて居る! (『仏敵』一四四~一四五頁)
仏前で合掌した伊藤は、阿弥陀仏像の姿の上に『安心決定鈔』の「機法一體にして南無阿彌陀仏なり」の意味を感得した。ここで伊藤に二つ目の不思議な体験が起こる。金属で作られているはずの仏像が、確かに生きていると感じられたのである。
しかし私は此の秘密を誰にも打ち開けなかつた。おみとさんの赤い顔も見た。だが私は只微笑んでゐた丈であつた。植島氏とも一緒に火鉢の前へ坐つた。併し私は黙つて愉快な微笑を交はせた丈であつた。居並ぶ同行衆の前へ手をついて有難う御座いましたと云はうとも思つたが、何だか狂言じみて居るので止めることにした。 (『仏敵』一四六頁)
これらの不思議な体験により、伊藤は自分は獲信したと考えた。それで同行達に手をついて礼を言おうとしたが、芝居じみていると思って止めた。
野口道場にはこの三日間ほどで数十人が集まっていたが、まだ堀尾が亡くならないので、同行達は手持ち無沙汰でいた。その後、伊藤も含めて、皆は本堂の仏具を磨き始めた〈55〉。
伊藤が仕事の手を休めて仏像を見上げると、再び、仏象が生きていることを感じた。
ほんたうに、どうした不思議か! 此の御佛は生きて居られる。法眼を圓かに開いて我身を守り、溢るゝ慈光を我が靈に送り給ふ。私は勇み立つた。愈々確かだと思つた。此の腹の中の光明と云ひ、活きた如來の黙示と云ひ疑はうにも疑はれぬ嚴かな事實だ! (『仏敵』一四八頁)
伊藤はじっとしておれず、野原に走り出て喜びに浸った。その日の午後に堀尾は亡くなったのであった。堀尾には以前から、伊藤に獲信してもらいたいという強い願いがあった。
臨終前の數日、どうしても醫者の注射を用ひなかつたのは―その爲に非常に苦まれたのは、同行達を留めて、私に法を聞かせてやり度いという一念が末通りたる慈悲となつて現はれたのだ。恐ろしいではないか。偉大なる慈悲が私の胸に徹するまでには、何といふ激しい如来の善巧方便を用ひなければならなかつたであらう。 (『仏敵』一五三~一五四頁)
堀尾は、伊藤に獲信してもらいたいがために、臨終までの期間を少しでも長くして同行たちに少しでも長居してもらうために、乳癌の激痛があるにも関わらず注射を用いなかった。伊藤は、堀尾が激しい痛みを耐えなければ、阿弥陀仏の本願が自分に徹底しなかったのか、と驚き戦いた。この記述から、伊藤が、自分は阿弥陀仏の他力信心を頂いた身になった、と考えていることが窺える。
ほんとうに私は今死んでも、もう樂だと思つた。 (『仏敵』一五六頁)
伊藤は、自分が獲信したものと思い込み、いつ死んでも極楽往生の身になったと考えた。
(5)信を得たと思っていた伊藤だが、不信を抱き、同行から示談を受ける
これまでの展開で、伊藤は獲信したかのように見える。しかし実際には、まだ他力信心を獲ておらず、未信の状態であった。『仏敵』の第八章は、伊藤の以下の告白から始まる。
友よ! 彌陀の大悲に感激する人は無量無數に居るだろうが、彌陀の佛智不思議に觸れた者は昔から國に一人、郡に一人と云はれた位のものであります。私はこの光明の世界が眞實信の天地だと思つて居りましたが、まだゝゝ誤つて居たと云ふのですから、眞宗の法は聞いた上にもよくよく思案して聞かねばならぬ教であります。 (『仏敵』一五八頁)
前章までの伊藤の心境は阿弥陀仏の慈悲に感激しただけであり、真実信心に徹したわけではない、という告白である。ここで伊藤は『教行信証』行巻の言葉を引用する。
親鸞聖人は『教行信證』の行巻に云つて居られます。「良に知んぬ。徳號の慈父ましまさずば能生の因闕けなん、光明の悲母ましまさずば所生の縁乖きなん、能所の因縁和合すべしと雖、信心の業識に非ずんば、光明土に到ること無し。眞實信の業識、斯れ則ち内因と爲す。光明名の父母、斯れ則ち外縁と爲す。内外の因縁和合して報土の眞身を得證す」 (『仏敵』一五八頁)
極楽に往生するには、南無阿弥陀仏(因)と光明(縁)が和合する必要がある。さらに、たとえ口に念仏を称えていたとしても、衆生の中に阿弥陀仏から頂いた他力信心が無ければ、浄土往生は叶わない。他力信心を内因とし、南無阿弥陀仏と光明を外縁として、極楽往生するのである。
伊藤は自身のことを、久遠の昔から罪業の塊であり、自力迷心の牢獄に閉じ込められてきたと表現する。しかし、堀尾の死を通じて同行と関わったことで宿善が開けてきた。そして長年の牢獄の一角が破れ、光明が流れこんで来たというのである〈56〉。そのことで伊藤は過度に感激し、真っ黒な罪業の塊も忘れて、自身を光明で輝く人間であるとすら思い始めていたのである。しかしここまででは、浄土に生まれるべき縁は出来ても、肝心の因が足りない。所生の縁は成熟して、二つの不思議な体験をしたものの、自分には他力信心が抜けていた、と伊藤は分析する〈57〉。
堀尾が死去した翌日が葬式の日となり、伊藤は今日ばかりは菩薩の葬式である、と喜んでいた。集っていた同行達は、一昨晩からの会話は伊藤に仏法を聞いてもらうため、実は皆で伊藤に集中攻撃をしていたのだという事情を話す。この日は伊藤を含め、堀尾の往生を皆で喜んでいた〈58〉。
しかしある同行の話を聞いてから、伊藤の信心は揺らぎ始める。これが本物の他力信心であればよいが、間違いであればどうしたらよいのか? 単なる一時の感激であればどうしたらよかろうか? という思いが伊藤を悩ませ始めたのである〈59〉。それは真剣な求道者であるからこそ感じる心でもあった。ある老人がこんな話を始めた。
「私の家の孫はまだ七つ位だのに、安く信を戴きましたが、親戚の人が來て「彌陀をたのむ一念」の所を知らせて見ろ! と言はれた時に、即座に五體を地に投げて、につこりと微笑んでゐました」 (『仏敵』一六四頁)
この話を聞いた伊藤は、不審が立った。無我になって喜べず、とてもこの子供のような大胆な解答は出来ないと感じ出した。植島やゑが獲信するまで四十年かかったという話を聞いて、益々自分の信心が浅いものに思われてきた。伊藤は自分が他力信心を頂いたと思っていたが、余りにも簡単に頂いたように思えてきた。疑いは急激に大きくなっていった〈60〉。
葬式から帰ってみると、同行達は皆帰るところであった。しかし伊藤が折角阿弥陀仏の本願を喜んだのだから、もう一晩共にしよう、という話が出た。そこで伊藤は率直に自己の心情を打ち明ける。
「私は有頂天なんです、この腹の所から光明が一面に滿ちて居る様に思つて嬉しいのですが、胸の所へ黒い塊が現れて來て、そいつがもやゝゝとして仕方が無いのです!」
「では貴方は矢張具合が惡るい!」 (『仏敵』一六八頁)
続けて植島やゑが言う。
「美しい有り難い心持になつて往生したいとの御考へでせう。それは二十願の機情で誰でも、よく誤つて引懸る所で御座いますぜ」
「そうですね? でも獲信の行者は、よく喜ぶではありませんか?」 (『仏敵』一六九頁)
それは思い違いである、と隣村の僧侶が話し出す。
「君はこの道場でも、特に剛信で晴れやかに喜ぶ同行衆を眺めて羨んで居る様だが、それは各人の個性に依つて異ふのだ。俗に所謂泣き上戸もあれば、笑ひ上戸もあれば、怒り上戸もあり、惡るい奴になると素知らぬ顔をする盗人酒もある。信心を酒とすればその現はれ具合は様々で、個性に依つて百人百様の姿を現はすのだ。僕なども現に二三十日も生活に沒頭して居る間は何の有難味も無いが、時々こんな讃嘆の場所へ出て來ると、ほつと嬉しくなる。只それ丈の話だ!」 (『仏敵』一六九頁)
伊藤は、信仰生活とはそんなに平凡で単純なものだろうか? と懸念した。しかし平凡で現実的なものが信仰であるかもしれないと思い直し、同行達の中に腰を据えて話をすることにした。他力信心を得たら今までと違う聖人のような生活が送れるのではないか、という幻想が伊藤の中にあったのである〈61〉。
阿古長蔵が比喩を使って次のように説明する。
「往生せられたおばさんが口癖の様に云つて居られましたが、後生の大事に向つては暗い心と黒い心とがある。暗い心は一念の時に治るが、黒い心は臨終まで治らない。で信を戴いた後になると、段々と我心の黒い自性、業の深いと云ふ事を判然と味ふ丈です」 (『仏敵』一七〇頁)
この「暗い心」「黒い心」「白い心」はそれぞれ、自力疑心・煩悩心・他力信心を表した言葉である。これらについては本論第五章にて考察する。
阿古の言葉を聞いた伊藤は、自分の信心が本物の他力信心なのかどうか、さらに疑問を大きくするのであった。伊藤はその次に、隣村の僧侶から二種深信をどう味わうかと問われる。答えられない伊藤に、さらに僧侶がたたみかける。
「ぢや、君に一の喩をださう。君は今、生死の苦海に漂うてゐるとする。そこへ大木が漂流して來たら、君はそれにすがるかい?」
「私はすがります!」
「それでは君は愈々獲信しておらぬ…」「それではあかん……」と皆が異口同音に云つた。 (『仏敵』一七一~一七二頁)
自分でも不審を抱いていた自己の信心を、同行達からも否定され、伊藤は冷や汗を流した。そして伊藤は隣村の僧侶から、ある浄土宗の僧侶の話を聞いた。伊藤のように有難い心持ちとなり、日に数万遍の念仏を唱えていたが、臨終のときに、「アッ! 失敗った!」と叫んで息が切れたという〈62〉。それを聞いた伊藤は、非常な焦燥を感じた。隣村の僧侶は、他力と自力の違いについて話を続ける。
「一体どうすれば好いのでせうか?」
「その心が邪魔をして居る」
「その心とは?」
「どうすれば好いか? と云ふ心が邪魔をして居る。君は治る機を捨てずに、治らぬ機を治ほさうと骨を折つて居る。君が治る機を捨て様とする心も、同じ捨てる心だから、随分、この邊の廢立は難しい所だ」 (『仏敵』一七三頁)
「治る機」とは、本願に対する疑い心である。「治らぬ機」とは、煩悩であり、死ぬまで治らない心である。
伊藤は他力信心を求めるのはこんなにも面倒くさいものか、と思った〈63〉。そして宗学をもっと学んでおくべきだったと後悔するが、すぐに、宗学を丁寧に学んでいなくてよかったと思い直す。かえってその宗学が求道の邪魔をしたかもしれない、と思うのであった。
が! 若し私に此時、精練された宗学の知識があれば最早駄目だ。生命より生命へ、火花を散して激しく切り込んで行かねばならなぬ一大事の後生をば、單なる概念上で弄ぶ悪い宗學者の癖が、私に薫習されて居れば既に生き乍らの観念地獄に落ちるのだつたのだ。野生の儘の青年であつたので好かったのだ。 (『仏敵』一七三頁)
もしも精錬された宗学が伊藤の中にあったならば、例え植島らの話を聞いても、論理をもって概念上の話をするだけで終わったであろう、と伊藤は考えたのである。
(6)獲信の体験
自己の信心について考え込む伊藤を見て、仏法の相談は明日の朝にいたしましょう、との声があがり、伊藤は就寝した。翌朝伊藤は、自分の心に清涼な気持ちがあるのを感じ、落ち着いた心持になる〈64〉。しかし、植島やゑは伊藤を呼び、対座しこう言った。
「貴方は、つまりませんぜ! つまりませんぜ!」
その一語でぐッと私は行詰つて終った。昨夜胸の中へ現はれて来た黒い塊は、息もつまる様な物凄い勢ひで押し迫つて来た。私は蛇に睨まれた鼠の様に身動きも出來なくなつた。
「貴方はつまりませんぜ、貴方はつまりませんぜ!」 (『仏敵』一七五~一七六頁)
泣かんばかりの真剣な態度で話す植島やゑの言葉を聞き、伊藤は、自分の胸の中に黒い塊を感じた。その時伊藤のすぐ近くを、幼くして獲信したという八歳の男子が走って行った。このような子供でも獲信できるのに、と伊藤は自分の不甲斐無さを思う〈65〉。植島やゑはさらに話を続ける。
おばさんは愈々眞劍になつて疊み掛けて來た。「貴方はつまりませんぜ! 貴方はつまりませんぜ!」
刹那の大暗黒界が私の視野に展開されて來た。入る息は出る息を待たぬ大無常は、脚下の現實に知れて來た。
これ程恐ろしい黒暗地獄を前にして、よくも俺は浮々とした妄想を追うて暮して居たぞ! よくも俺は人を教化する等と云ふ高慢な心を起して居たぞ! 信心を求める所か、光明を拜する所か、俺は、俺はこんな黒い心を持つて居たのだ! 私は生れて始めて後生の一大事と云ふ事を知った。時間の幕を撤し空間の幕を撤して、只今の足下に大きな口を開いた後生の一大事と云ふ事を知つた。始めて魂のどん底を震動せしむるこの時に於て、私の理智の眼は非常な急速度を以て心の中を凝視するのであった。 (『仏敵』一七六頁)
獲信したと思い込んでいた伊藤は、植島やゑが畳み掛けてきたことで、黒暗地獄が見えてきたのである。自分の恐ろしい黒い心が見えてきたのである。そして自分の前に迫る後生の一大事ということを初めて知ったのである。
伊藤達はその後、いったん朝食をとった。しかし伊藤は、給仕する女性の顔も目に入らないほど、自己の心を見つめていた〈66〉。そして再び、伊藤は植島やゑらと向きあった。
「眞實信者の心持は只懺悔と歡喜とがあるのみですか?
「さうです」
「私にはまだそこに「考へる心」があります」
「……………………………」
答は無いが、おばさんの眼光は、憤怒に燃えた不動明王のやうに爛々と炎の如く燃えて、激しく私の無信仰を睨んで居る! (『仏敵』一七七頁)
その直後に阿古長蔵が、伊藤に朝の勤行を頼んだ〈67〉。仏前に座った伊藤は、ここで本当の廻心を体験する。
私は仰いで佛顏を拜する事が出來なかつた。今日までは何たる淺間しい心掛で私は、身輪説法の如來の御姿を拜して居たのであらう。今日までは何たる無自覺なる態度を以て、如來聖人の喚聲にまします正信偈を棒讀にして居たのであらう。千丈の堤を崩す氾濫は、この微かな懺悔の一念より發した。鐘を突きならして、歸命無……とまで言つた私は、その儘、佛前にどツと泣き倒れて終つた。
おゝ! 徳號の慈父は露堂堂として現はれんとす! 眞宗最難の無關門、一念歸命は今將に來たれり! 如來選擇の願心より發して、第十七願海の諸佛讃嘆となり、諸佛讃嘆を聞いて、信一念に徹せんとする時節の極促、―――その刹那に現はるゝ機法二種一具の深信は、今將に來たれり! 噫! 久しい哉、塵點劫來より我身を迷はしたる久遠の自力心は、今ぞ斷破せられて堕獄の泥凡夫が、一撃五十二位の階段を横超して必定不退の菩薩たらむとす! 噫! 遠い哉、法蔵菩薩の十劫成等覺の正覺の一念は、今ぞ久々常沒の佛敵に徹したり! 願くば十方衆生に代りて、この刹那の大光景を嚴正に記さしめよ。點線は號哭して居る所である。 (『仏敵』一七八頁)
伊藤は激しい懺悔を感じて、仏前に泣き倒れた。「一念歸命は今將に來たれり」と記していることから、伊藤自身ここで獲信を体験したと捉えていることが窺える。「機法二種一具の深信は、今將に來たれり」「久遠の自力心は、今ぞ斷破せられて」など、獲信を思わせる表現を複数記している。
そして伊藤の意識は遠のき、不思議な体験が起こってきた。
「…………偉い事をしなすつたなあ、偉い事をしなすつたなあ(同行の聲、軈て彼等は私に代りて正信偈を讀誦し始めた)…………おゝ、あの聲だ。あの聲だ、如來聖人が血を喀く思で俺を喚んで吳れた聲だ。…………一刻千秋、千秋一刻の思で俺を喚んで吳れた聲だ。…………何人か背後に偉大なる方のまします樣―――周圍は一面に冷徹せる眞空の光明、淨玻璃の鏡の如く明々として、我が號哭せる姿を直寫せんとす。理智の光は愈々鋭くなりて、深刻に塵一つの罪業も審判せずんば止まざる勢である…………おゝ自己を見よ! 自己を見よ(何等の寥々! 何等の森嚴なる批判ぞ!)…………忽然として黑い心が飛び出た。淨玻璃の鏡に照らされてギリゝゝ舞をした。俺は……全世界中で一番恐ろしい者だ…………頭をあげて御姿を仰げよ。啼くを止めて正視せよ…………仰がんとすれば頭は愈々下り、啼くを止めんとすれば號哭愈々止まず、あの如來の姿をどうして拜めるのだ…………突然、總身は强壓の電流に罹れるが如し! 極度の深刻なる自己批判は狂氣の如く血迷はせた。意識忘失、…………………… (『仏敵』一七九頁)
伊藤は阿弥陀仏の喚び声を感得し、周囲が鏡のように明るくなり、自己の罪悪を映し出した。余りの罪悪の深さに、阿弥陀仏に対する著しい慙愧の念が起こった。 伊藤は地獄必定の自己に徹し、意識を失った。
意識を回復した伊藤は、植島やゑから「その儘やぜ」という言葉をかけられる〈68〉。その言葉の意味を考えていた伊藤は、非常な歓喜に包まれている自己を発見する。
併し私は急に身體を悶え始めた。熱い! 胸が張り裂ける樣に熱い! 心臓に火の玉を燃して居る樣に熱い! 鋭利な刄で肋骨を搔き破つて終ひ度い位に熱い! 私は首を夜具の外へ突き出して氣を轉じようとするかの如く、深呼吸をして薄暗い天井裏を眺めた―――やつと胸中の炎は静まつた。さうして熱い魂は嚴かに廻轉して、そこに黄金のような强烈な光りを放つてゐるやうである!
「まだ何か考へることがあるか?」、私は自分の心に自問してみた。
何も考へることはない。考へる頭は麻痺して終つた。今の慟哭で薬風呂に入つたやうな爽快さだ。氣も晴々とした。腕に力こぶが籠る。中學時代に劍道選手として敵を薙ぎ倒した―――あの時のやうな凛々たる力が籠ってゐる。馬鹿! 大聲で叫んでみたいやうだ。 (『仏敵』一八一頁)
夜具に入った伊藤は、身体に火の玉が燃えるような熱さを感じた。自問自答した伊藤は、自己の信心に対する不審が無くなっていることに気付く。ついに伊藤は信心に対する不安が無くなり、晴れやかな気持ちへと変わった。そして伊藤は、自分の身体に傷がついていることを知る。
何時までも心地良い微笑を頬に湛えて居る氏の肩を流して居ると、私は始めて我身に一面のかすり傷があるのに氣付いた。両腕の力瘤のある所に一番傷が深く、足の方にも所々大きな血痕があつた。これは恐らくぐツと行詰つた時毎に、眞劍になつて腕を拱き、爪の先で我身を引搔いて居たものだと見える。その事を植島氏に話すと、私の樣な者が多勢居ると云ふ。開發した時に何百度となく疊に額を磨り付けて禮拜し、終に銭形大の靑白い死んだ痕を残した者や、開發するまでに顏が病的に脹れ上つた者もあるさうな。 (『仏敵』一八三~一八四頁)
仏前で泣き倒れて慟哭した折、伊藤の身体には多くの傷がついていた。真剣になった余り、無意識に身体を引っ掻いたものであった。植島藤太郎によると、他にも求道中に知らず知らずに傷を作ったり、顔が腫れ上がる者もあるという。
私等のやうに一週間も經たずに獲信した者もあれば、二ケ月三ケ月を要した者もあり、中には五ケ年の歳月を執念深く法を求めて徹した者もある。さうかと思ふと、魚を賣りに來て商談してゐる間に獲信した者もあり、花嫁が化粧する時に信を喜んだこともあるさうだ。 (『仏敵』一八四頁)
求道を始めてから獲信するまでの期間も、人によって異なる。求める気持ちも無く偶然に真宗者を訪れ、法を聞いた者が短時間で獲信することもある。一方、五年という長期間をかけた者もあるという。もちろん、死ぬまでに間に合わぬ者もあるのだ。
私は思つた。佛法は法の威力に依つて廣まるものである。中間の善知識といふものは、月を指さす指として必要であるが、親鸞教が普及した結果、善知識が却て如來の仕事を邪魔してゐるのが教界の現状だ。教へる人が詭辨の信仰で固つてゐると教へられる者は詭辨を弄することが信仰だと思ふ。教へる人が學者であると、學問的な理窟を並べることが信仰だと思ふ。教へる人が法體募りで、法の有難味ばかり説いて居れば、さう云ふことが信心だと思ふ。又反對に教へる者が罪惡の自覺ばかり言うてゐると惡人と知つたのが信仰だと思ふ。
其他、念佛に捉はれ、感情に捉はれ、泣いたのが信心であつたり、喜んだのが信心であつたり、行儀の正しいのが信心であつたりするが、何れも根本の眼目を忘れてゐる。さうして人の態度や言葉ばかりを批評する。安心や異安心の問題で騒ぐのは、此の連中だ。
他人から批評されて感情の動搖を感ずるのは、他人の尻をついて歩いてゐるからだ。鶏口となるも牛後となる勿れ! とは甘いことを言つてゐる。 (『仏敵』一八四頁)
伊藤によると、浄土真宗教界の現状は、阿弥陀仏よりも善知識が目立っているという。伊藤の言う「親鸞教」とは、阿弥陀仏よりも親鸞を大事にしていくような風潮が広まっていることを指す。さらに、教える者によって信仰が変わってくるという。そして、後生の一大事が解決したのかどうか? ということが抜けているというのである。確かにこの指摘は的を得ているように思われる。救済の主体である阿弥陀仏ではなく、その紹介者である親鸞のほうが目立つということは、後生の一大事の解決を考えた場合、本末転倒と言わざるを得ないであろう。
此の同行達は少くとも鶏口であるが牛後の人ではない。口々に言ふことが違つてゐるが、而も大きな點は如來に統一されてゐる。他の法席では、如來を見ずに善知識ばかりが見えるが、こゝでは知識は見えずに如來ばかりが見える。中心は如來樣で、人間の言葉は單なる發聲器に過ぎない。如來はかうだとか、あゝだとか理窟をこねる人がない丈に、如來樣が全體に輝いてゐる。それ等の言葉に依つて自己を證明され、反省され、沈默の裡に 會得する―――私は好い同行の團體を知つたと思つて喜んだ。 (『仏敵』一八五頁)
野口道場の同行達は口々に表現する言葉は違うが、阿弥陀仏に統一されている、と伊藤はいう。他力信心を獲得しなければ、阿弥陀仏と出遭うことはない。故に真実信心を得ていない同行にとって、大事なのは如來よりも、目に見える善知識となる。一方の野口道場に集まる同行達も、善知識である堀尾のことを敬ってはいる。しかし彼等は阿弥陀仏に直接救われている故、善知識が過剰に権威化されることもなく、中心に阿弥陀仏こそが輝いている。本当にこのような同行に会えて良かったと、伊藤は喜ぶのである。
以上で、伊藤の求道体験記である『仏敵』の考察を終了する。引き続き、獲信後の悩みを記録した『善き知識を求めて』に、伊藤の安心を検証したい。