第三章 伊藤康善における宗教的経験と教学
はじめに
近代真宗における布教者の中で、無名ではあるが現代にまでその影響を残している伊藤康善を本章で取り上げる。前章で言及したように、浄土真宗における「二度生まれ」といえるものが獲信であるが、伊藤の特徴として特筆すべきは、多数の求道者を獲信に導き、またその求道体験記を書籍の形で残していることであろう。それらの体験記の記述には、一見すると奇異に思える箇所も多数見受けられる。
しかしながら、ウィリアム・ジェイムズは『宗教的経験の諸相』において、多種多様な宗教体験を拒絶することなく積極的に価値を認めている。具体的な個人の信仰体験について、ジェイムズは以下のように語る〈1〉。
どんなに深遠な公式であろうと、そういう抽象的な公式を手に入れるよりも、特殊な事実に広くなじんだほうが、ずっと私たちを賢くしてくれることが多いと私は信じているので、私は具体的な実例の数々をこの講義に盛りこんだ、そして、それら具体的な実例を、宗教的気質の極端に表現されたもののなかから選んできた。
ジェイムズは特殊な事実、個人的な体験に広く馴染んだ方がより有益であると考えていた。事実、『宗教的経験の諸相』においては、多数の宗教体験を取り上げ、綿密に検証している。それに習い本論では、個人の特殊な体験をできるだけ多く詳細に挙げていく。
第一節で伊藤の生涯を概観し、布教実績や主な活動を把握する。
第二節では伊藤自身の求道体験記である『仏敵』を精査し、その信心の実態に迫り、また伊藤が求道者を獲信に導く上で重要視していた要素について検討していく。同書は一般的に決して著名なものではないが、現在でも求道者にとっての指南書的役割を果たしている。その内容および構成を把握することで、伊藤の下に集った求道者にどのような影響を与えたかを考察する手掛かりとする。
第三節では、『善き知識を求めて』に注目する。この書は、伊藤の獲信後の悩みを克明に記録したものである。信仰書の中でも、信後の悩みをここまで詳しく繊細に表したものは稀である。伊藤はその悩みを通じて、自身の教学理解をも確立してゆく。
伊藤が後に展開する布教において、その核心となる箇所であるため、体験記および信後の悩みについて詳細に検討する。