第五章 第一節 第四項 一念覚知
伊藤康善に対する批判として最も多いのが、一念覚知の異安心ではないか、ということである。例えば伊藤の著書の中において、次のような箇所がそのように疑われると推察される。
第三章でも参照した『仏敵』において、以下のような場面がある。野口道場に堀尾を訪ねた伊藤は、信仰の悩みを打ち明ける。ここより堀尾と伊藤の、阿弥陀仏の本願に関する会話が続く。
「おばあさん!時に‥‥自力と他力の水際は、実際心の中で判然と解りますか」
「解ります!」と強く、 「自力で法を求めて居る間は、もやもやとして解りませんが、佛智の不思議にブチ當れば火の様にはっきりと解ります!」 (『仏敵』二二頁)
堀尾は、自力と他力の違いは、十八願の世界へ入れば火を見るようにはっきりするという。この「はっきりする」という部分が、一念覚知を思わせるのであろう。
ではそもそも、一念覚知とはどういった異安心であるのか。鈴木法琛『眞宗學史』、大原性實『眞宗異義異安心の研究』より見てみたい。鈴木は『眞宗學史』において、一念覚知についてこう述べる。
『行巻』に
就稱名遍數顯開選擇易行至極(行巻三十九丁)
とのたまひ『信巻』に
一念者斯顯信樂開發時尅之極促(信巻末一丁)
とのたまふは、一聲の稱名に萬徳圓満すといひて、多念を待たず獲信の一念に往因満足することを知らしめ、其獲信の一念とは時尅の至極短促せしものなるを示せり。比れ時尅の極促なるが故に、意業の造作を以て信相とすべきものに非ずといふを宗祖聖人の教義とす。
比時尅に就きて古來假時實時の論あり、假時とは實際法の經過の延促を論せず唯事物の成立するを呼びて、甲の時乙の時といふ。之を今の信一念に擬すれば、一念は時究竟の一念なり。極促とはいへども、一瞬一彈指刹那等の時にはあらず、唯事究竟の速なるを時尅の極促とのたまふなり。又實時とは時尅の極促とは實際に信心の治定するの時尅分秒等を以ていふべからざる程の短促中の至極なりをいふ。
故に此時間中に意業の働作あるべからず、人倒れんと欲して手を支へ、打れんとして眼を閉づ、思慮分別の餘地なくして之をなす、されども無念無思にはあらず、無念無思ならば死人なり死人に非るが故に、之を支へ之を閉づ、是れ意識なれども其相を覺知せず況んや信の一念時尅の極促をやと云ふものなり (『眞宗學史』二五六頁)
鈴木は、信の一念とは時尅の極促であり、人間の能力では計りえないほどの短い時であるから、衆生がとらえることは出来ないという。それは人間の思いが動く隙もないほどの時間である。そして、人が倒れまいとして思わず手をついたり、打たれまいとして思わず眼を閉じるほどの思慮すら働かないうちに、信の一念が訪れるという。しかし、意識の中に確実に起ってきているので、無念無想ではない。確かにこの身に起ってきてはいるが、人間の能力で何時何分何秒などと計れるものではない、という。
一方、大原は『眞宗異義異安心の研究』において、一念覚知をこのように論ずる。
前述の如く、秘事法門と知識だのみは最も密接な關係にあるが、そのことから又信一念の覺知を説く異義が、現代最も弘く行われているようである。
云く、往生ほどの一大事が決定せられる爲の信の一念が、その當の本人に覺知せらぬという筈がない。眞の知識に遇うことを得れば必ずその教化により、何日何時に獲信することが出來る筈である。覺知なしというが如きは、一般寺院教場に於て無信仰なる僧侶、無信心なる布教使より、お座なりの通漫な説教を聞くのみで、眞の知識に遇われぬからであると、自賛毀他するのである。
かくて知識は信者をして一念の覺知を追及せしめ、信者は知識の用ふる様々なテクニックに翻弄され、 且つその暗示を受け、獲信せりと覺知し、感激の餘り大聲を出して號泣し、或は歓喜の餘り身を動揺せしめ、手の舞い足の踏むところを知らぬ踊躍の状を現わすものもあるのである。而してこれらの表現をもつて覺知の一念、信決定の證據なりとなすのである。
かくて一念覺知の異義は、歡喜正因の異計と連絡あり、そのグループは盛に歡喜の法悦を語り合い、他に向つてこの法悦を強制するかの如く見ゆるものもある。かつて昭和の初めに學生親鸞會と稱する團體あり、知識人の集合であるが、この種信仰の團體として、相當に汎く知識人の間に普及せられたようであった。歡喜正因の異義については別項に詳細論述したからこゝには繰りかへさない。 (『眞宗異義異安心の研究』二七七~二七八頁)
大原は、一念覚知は歓喜正因の異義とも関係が深いという。一念覚知を主張する僧侶は、往生ほどの一大事が本人に分からないはずはない、という。そして真の善知識にあったならば、何月何日何時と、はっきり一念の時が分かるはずであるというのである。それが分からないというのは、真の知識にあっていないからである、という。その意味では、一念覚知は善知識だのみ、知識帰命とも関わりが深いといえるのだ、という。
そして信者は、善知識の持つ様々な技術で翻弄され、感激のあまり大声を出して号泣し、歓喜で踊るのだという。そして、この法悦が無くては救われないと強制する団体もあった。
眞宗の安心は、歸命領受のこゝろであるとすれば、これを主體的に云えば自覺の智慧というべきである。而してこの智慧は自覺であるから、時間的な覺えが要請せられる。即ち覺えや記憶が必要であるとの考方が生ずる。現今、布教者の中には、信仰は體驗であるから、某月某日基處の法座で、入信したという確かな體驗の覺えがなくてはならぬというような勸め方をする者がある。從つて信者の中にも、入信の記憶を重視し、覺えの有無について、詮索し論議する傾向が仲々多いのである。
しかしかゝる考方は眞宗の正意安心ということは出來ないのであつて、古來これを一念覺知の異義と呼んでいる。この異義は入信の年月日時を記憶するをもつて信の證據とするものであるから、その證驗なきものは不安と焦燥にかられ、更にこれより種々の分別と計度とを起して疑惑を深め、如何にかして信心の確證を握らんとするのである。このような信者の側の弱點ともいうべき分別計度の心理に呼應して、所謂信心を授けると稱する教役者が現われ、こゝに信一念の覺知説は善知識だのみの異安心と密接不離な關係をもち、現在殊に各地に於て汎く行われている異義である。 (『眞宗異義異安心の研究』三八四頁)
この異安心は、浄土真宗の他力信心を帰命領受の心であるとするならば、主体的には自覚の智慧というべきだというものである。よって獲信時の自覚があるはずであり、故に時間的な覚えがあるのではないか、という。そして入信の年月日時を記憶していることが、信心のある證據とするものである。そうなると僧侶の中には、信心を授けようという者が現れてきた。従って、一念覚知は知識帰命と密接な関わりを持つものであるという。
大原の指摘において特筆すべきは、一念覚知の異安心が歓喜正因や知識帰命の異安心とも密接な関係を持つ、という点であろう。『安心論題綱要』には、信一念義についてこのような説明がある〈10〉。
またこの信心のはじまりの時である「信一念」について、本当に信心をいただいたのなら、その時がいつであるのかはっきり分かるはずだ (一念覚知)という主張があるが、如来の救いの可否は信心をいただいているか否かによって決まるのであって、決してその時を覚えているかいないかによるものではないことを確認すべきである。
信心を私の心のはたらきとしてのみとらえて、信一念の覚知がなければ往生成仏はできないとして、私たち衆生の覚知を条件とするのであれば、それは私たちの意業としての行為が往生成仏の決定に関与することになるのであって、信心正因の法義にそむく見解であるといわねばならない。
以下に、鈴木、大原、および『安心論題綱要』より得られた見解をまとめる。すなわち、信の一念は衆生の身に起ってくるものであるが、そこに意業は無く、何時それが起こったかを把握することは不可能である。よって獲信の年月日時の自覚を往生の証拠とすることが、まさしく異安心であることが分かる。
それでは、伊藤は一念覚知の異安心といえるであろうか? 伊藤の法話より、その見解を確認する〈11〉。
一念の信心は、はっきりするかどうか。親鸞聖人は、
「一念とは、これ信楽(しんぎょう)開発(かいほつ)の時剋(じこく)の極促(ごくそく)を顕し、広大難思の慶心(きょうしん)を彰すなり」(信巻末)
と、この自力の心の根が切れて、他力の信がはっきりするところがあると、おおせられている。
しかし、私の方で、「ハッキリした」とつかんじゃいかんのですね。一念の信は、仏智の御計らいであって、それを何月何日にいただいたなんて言うべきではない。私の場合でも、『仏敵』に書いてあるように、一念は、鐘をならした時か、光明に触れた時か、それはわからんのですね。
如来様が名号を与えてくださる。その時は、間髪をいれない。一念という時間を申しますと、一分が六十秒、六十秒を百一に割ったのが一刹那、その一刹那をさらに百一に割ったのが、一念なんですよ。そんな厳しい時間が、われわれに、わかるはずがない。如来様の判断に任すよりない。如来様には、いつが一念か、よくわかってなさる。それを、あの人に聞かせてもらったあの時が一念だと、私の方から計らうと、おかしなことになってくる。
伊藤は、他力の信心ははっきりするという。しかし、それを自分の方から「ハッキリした」と掴んではいけない、という。第三章で示したように、伊藤には獲信の体験があった。しかし、それが何時かと問われると、どの瞬間であったのか伊藤にも分からないのである。阿弥陀仏は一念の時を知っているが、衆生の側から「あの人に聞かせてもらったあの時が一念だ」と決めてしまうと、信仰がおかしくなると伊藤はいう。さらに伊藤は、信一念について詳述する〈12〉。
さらに親鸞聖人の、もう一つの信一念の解釈は、
「一念といふは、信心二心なきがゆゑに一念といふ。」
とある。善知識に会うて信心決定したら、もう往生にたいしてなんの不安も起こらなくなる。仏様が、自分の親様のように感じられる。いわゆる断疑生信(だんぎしょうしん)といって、自力を捨てて他力に入る。こういった意味を、信の一念といわれるのですね。これを蓮如上人のお言葉でいうと、
「予が安心の一途、一念発起、平生業成の宗旨においては、 いま一定(いちじょう)のあいだ、仏恩報尽の称名は行住座臥にわすれざること間断なし」(四―十三)
とおっしゃる。この往生は「いま一定のあいだ」というのは、信心について、こういただいた、何時いただいたなどと、あれこれいう理屈を離れきって、現在ただ今、今晩ここで息が切れても、ここからお浄土へ参るんだという安心感ですね。これが「信心二心なきがゆゑに一念といふ」ことです。
だから、信の一念の味わい方について、時間の上でいうのと、無二心でいう場合との二通りがあるんですね。
信一念の解釈には、「時尅の極促」としての一念以外にもう一つある、と伊藤は言う。他力信心が決定すると、後生に対して不安が無くなり、阿弥陀仏が親のように感じられる。その状態もまた、信の一念と言えるという。これは蓮如の言葉によれば「一定のあいだ」という。衆生の「あの時が信の一念だ、誰にいただいた」という理屈や過去の出来事を離れ、今現在の時点で命が切れても浄土行きの身であるという安心があることも、信一念の味わいであるというのだ。
伊藤はまた、善知識だのみの特徴である信心の認可についても触れている〈13〉。
先にも申しましたが、人に法を勧めていて、求道者がワッと泣いて喜びだしても、決して「よかった」と言ってはならん。その言葉で、相手は機に帰るんですな。中には、まだ自力疑心が消えてない人もいるからね。どんなことがあっても、放っておくべきです。だいたい求めているものは「信心いただきたい」にかかっている。これは一つの病。そのいただきたいの心を切ってやらねばならん。勧める側にしても、「いただかしてやろう」というのが病なんだな。どっちにも病がある間は、本当の信、いま一定のあいだの喜びというのは出てこないですね。
伊藤は、信心の印可を与えることの恐ろしさを強調する。求道者が一念覚知に陥るのは、善知識に責任があるという。求道者に「よかった」と伝えてしまうことで、求道者はその印可を握り締める。求道者には「信心いただきたい」の病があり、善知識には「いただかせてやろう」の病がある。それを断ち切らなくては、蓮如の言う「いま一定のあいだの喜び」は出てこない、と伊藤はいう。
しかしながら、伊藤の著編書において、求道者の獲信を認めるような発言も散見される。例えば『仏敵』において、劇的な体験をした求道者に対して、野口村の同行が「偉い幸福者になつて呉れた!」と声をかけるなどの場面である〈14〉。このような発言について伊藤は、求道者を迷わすものだと断言している〈15〉。
たいていの指導者なら、ここで「ああ、うまいことしなさった」と言う。私も、はじめはそれで失敗した。「あなたは、信心いただいた」と言われた一言で落ち着くと、まあ十年は迷いますね。求道者としては、なんとか認めてもらいたいのが腹底。だが、それが自力の捨て心なんですね。
さらに伊藤は、印可を与えることの弊害について説明する〈16〉。
だから私は、大体これはよいと判断しても、一年ぐらいは放っておく。そして「大事な法ですよ。さいさいに法座に出て、聴聞しなさいよ」と言う。それでも、その信が本物なら、その同行の口から出てくる言葉がありがたいね。こちらから説明してやる必要があるうちは、まだまだその信心には病がある。間違いとは言わんが病がある。どこかに引っ掛かっている病がある。善知識をたよったり、一定の場所をつかんだりして、一人立ちできない。もう一つ抜けきっていないね。もし本物だったら、日常生活でも法座でも、出てくる言葉の一つ一つに、こちらの頭が下がってくるものです。
そのあたりを、勧学のK君あたりが批判するんでしょうね。またH先生でも、毎年何百人と獲信させたと言いなさる。実際先生は、法の勧め方が上手です。しかし本当に法に徹した人は、何百人の中で五、六人ですね。ほとんどが消えてしまう。フレスノ方面では千人も獲信したというが、今現に残っとるのは、二、三十人足らずですね。「なぜ、こうなるのでしょうか」と尋ねられるが、それは安易に与え過ぎたために、求道者が、これでと腰をすえてしまい、進一歩して、「往生は、いま一定」というところまで出られなかったからですね。
以上より伊藤は、求道者が獲信したように見えても一年程度は放っておいた。もしも本当に他力信心を頂いていれば、自然と求道者の発言は有難いものになり、聞いていて頭が下がるという。大勢の人が獲信したという話があっても、ほとんどの人の信心は消えてしまう、つまり本当には信心獲得していなかった。それは全て、善知識が安易に印可を与えたからである、と伊藤はいう。蓮如の示すところの「往生は、いま一定」というところまで、求道者が出ていけなかったのである。
以上、一念覚知の意味と伊藤の見解を参照した。伊藤は一念覚知を説いていたであろうか。むしろ伊藤は、一念覚知に陥ることを非常に警戒し、恐れていたことが分かる。よって、一般に批判されるような一念覚知には伊藤は当たらないと論証できよう。