第五章 第二節 第二項 大沼法龍の廻心と獲信への導き
大沼法龍(一八九五~一九七六)と伊藤は両者は交友があったようで、『華光出佛』の中に以下の記述がある〈21〉。
鯉田さんからは、八幡の大沼法龍師が津村別院で説教されるから聴聞に上阪中だとの便りをもらつて、早速何日か一しよに参詣した。大沼師は伊藤先生と大學同期であり年來の親友である。説教は痛烈に急所をついて快刀亂麻を斷つの感があつた。同じ道を歩まれた方の話は胸にヒシゝゝ思い當つて、思わず手に汗をにぎつて聞くのである。佛法の話は面白いなあとしみじみ思つた。
伊藤は仏教大学(龍谷大学の前身)で大沼と同期であり、卒業を同じくしている。大沼との関係について伊藤はふれていないが、伊藤とは懇意にしていた尾上は親友であったと述べている。
大沼の自著によると、元は浄土真宗本願寺派の僧侶であったが、独自の活動を展開していったため、本願寺派の僧侶を途中で辞めている。伊藤が異安心だと批判されるように、大沼もまた同様の批判をされる。その原因はどこにあるのか、まずは、大沼の生い立ちから獲信体験までを考察し、また伊藤との相違点はどこにあるかを確認する。
一八九五年、大沼は広島の岩国で生まれた。父親、兄はハワイに出稼ぎにいっており、母親は中学の時に学資を送るためやはりハワイに移動した。母親は仏法に熱心であり、大沼は母親から多大な影響を受けた。母親は武田龍栖勧学の姉であった。在家であったが幼い頃からの祖母、母親の願いを受け僧侶になることを目指した。幼少から仏教に親しみ、小学校時代には説教を一通り覚えたという。仏教大学の本科二年時には、小学校から嗜んでいた百人一首に没頭してしまい、成績が二十七番まで急落した。そのため叔父である武田龍栖勧学に説教をされ、卒業するまで勉学に打ち込み、研究科の間は本願寺より恩償をもらいうけたという〈22〉。
そして研究科三年の卒業間際になって、母親から次のような手紙を受け取る〈23〉。
いよいよ学校は卒業するようになりましたが、信仰の卒業はしましたか。信仰の卒業をしないで布教をしたら、追い剥ぎよりも悪いのです。追い剥ぎは人さまの者を奪ったら切り殺しはしないでしょう、道を尋ねたら教えるに違いないが、僧侶が開発していなくて布教をすれば、他人さまの汗膏のお布施を頂き、易行の大道を教えなくて、舌一枚で三悪道に迷わせたならば、追い剥ぎに勝る罪悪です。
これを読んだ大沼は驚き、今までの信仰が崩れ、有難い気持ちも吹き飛んでしまった。そこから大沼の求道がはじまったのである。
また、卒業前から仏教大学長の養子になる話があり、四月二十五日に入寺した。しかし、養子先の義母との関係が悪化する〈24〉。大沼はその葛藤を記している。
養子に行つた者は鴨居や敷居に調子を合はして上下を切らなければ入らない戸障子の様なものだとは知つて居るけれども、知つて居るのでは心の苦惱は消えない。
空論の間は何事も易いけれども實地になれば易いものはない、譬へば縁組しない前、自分の家庭に居る時に先方の舅姑はどんな鬼の様な人物でも、こちらが誠一つで盡せば我は折れる、かうもして上げやう、あゝもして上げやうと思つて居る時の孝行は口情を言ふ相手が居ないのだから思ふ存分の事が考へられるけれども先方の家に住む身になれば生みの親の様な愛情は微塵もなく、何時も冷かな眼で裁かれて居なければならない虐さを忍んで孝養を盡さなければならない弱き者こそ言慮を絶した辛さがある。
二言目には自分が若かった時は・・・・・・今頃の者は贅澤な・・・・・・罵聲を聞いた時、真の孝養が出來る筈が無い様に、未だ死なゝい積りで生死の苦海を向ふに眺め、机上の空論を喜んであのお聖教は、この書物はかうだと、弄んで居る間は、舅姑は邪見なもの私は誠一つで行けばよいのである、
私は十悪五逆の徒者、親様の誠一つを信じさへすればよいのであるけれども、愈今出て行かねばならないがよいかと念を押して見ると、今迄見えなかつた逆謗の心、今迄知らなんだ疑ひの心、今迄氣付かなかつた雑修や自力の心が見えすかされて、今迄は何を聞いて居たのだらうかと、必ず煩悶する時が來るのである。〈25〉
大沼は当時の学長の養子に入り、大いに苦痛を感じた。養子に入った者はその家に合わせて自分を変えなくてはならない、と頭では理解していた。しかし実際に冷ややかな義母を前にすると、とても合わせていくことが出来ないとさとるのである。実の親に従うのとはあまりにも違い、初めて自分の置かれた状況に行き詰まったのであった。親戚からは辛抱するようにと諭されるがどうにも我慢できず、この時大沼は、自己の本性をまざまざと見せ付けられた。この事件は、大沼が自分の機を知らされる大きな縁となったのである。
順境の時に素直に安心して居た御慈悲、惠まれて居る時に感じた信仰は、逆境に遇ひ悲劇の暗礁にぶちあたれば忽ちに破壊されるとは知らなかつたが、こんな苦境に立てば御慈悲が何處やら、お助けが何やらそんな死後の事を言って喜んで居るよりも、現在が猛火に包まれて居る中を脱れさして戴く方を欣んで居るのだ。
母の心を察すれば苦惱を切抜けねばならない、私の心から行けば一時も止りたくはない、祖師、蓮師の御苦勞を偲べば物の數ではない、吹雪や嵐を忍ばなければ香りの高い梅の花は咲かないのだと言ふ事も知つて居る、暴風や時化を乗り切らなければ勝れた航海者には成れないのだと言う事も承知して居る、承知しながら、忍び得ぬ苦境に立たされた時の煩悶は、入嫁した者の等しく味ふ處であつて自滅を待つのがよいか、自由を得しむるのがよいかは疑問である。〈26〉
実母にも望まれている養家であるからがんばらなくてはいけない、 祖師、蓮師の御苦勞を偲べば物の數ではないと頭では思うが腹が納得しない。環境に恵まれ、さして悩みのないときには、素直に喜べた仏法が、今生の激しい悩みに取りつかれると、後生のことなどどうでもよくなってしまったのである。その後、大沼は養家を出る〈27〉。
また、大沼は研究科二年の時、故郷の岩国の同行会合で法話をする機会を得た。その時に当時異安心だといわれていた、上岡みよという同行に会う。大沼は説教をして正しい安心に導こうとしたが逆に、大沼が未信であることを指摘された〈28〉。このことも大沼を求道へと向かわせたと言えよう。
その後、大沼は無漏田という布教者を訪ね、その法話を聞いて自己の心境を述べた。
十四日無漏田さんに法話を聽く、わからんと書いて居る。今迄の信仰の道程を語り今では西も東も堕ちるも参るも何にも判らなくなりました、こんな判らんお慈悲は有りません、どうしたらよいのでせう。
「貴殿は本當に聞く氣ですか」
折角僧侶にさゝれて一大事の後生の夜が明けなければ、自分も悪道に沈まねばならないが人様をお淨土に導く事が出來ません、
「仲々難しいからおやめになつたがよいでせう」
何でそんな殺生な事を仰有るのですか、こんなに信仰が崩れた以上は狂ひ死をしても求め抜かねばやまれません、
「この信仰は學問でも智慧でも理窟でも行かれません、只信ずるより他はないのです、只話だけ聞いて合點したのは信じたとは言へません、言葉や文句に執はれず、本當に貴殿の心の姿を忠實に御覧なさい、今迄有難い嬉しいと有頂天になつて感謝して居られた慶びは、永い間自分の感情に欺かれて居たのであつて、眞實の機が聞いて居ないから穿つた話を聞けば動搖するのです、未だゝゝ眞劍に成つては居ません、自分の機が判つて居ません」〈29〉
大沼は何も分からなくなったことを嘆いたが、無漏田の言葉は厳しく、本当に聞く気がないのであればやめた方がよいと言われた。無漏田は、信心は、学問、智慧、理屈でわかるものではないという。心を忠実に見ていきなさい、という。自身の真実の機の姿がわかっていないから、動搖するのだ、まだまだ真剣になっていない、と指摘されるのだった。
其時ありゝゝと無常の虎の繪が浮かんで出た。虎に追ひ攻められた旅人が斷崖絶壁の上に延びて居る松に登り、藤葛にぶら下り、落ち來る蜜に舌鼓を打ちながら、上では二匹の鼠が藤葛を齧り下には三匹の龍が待受けて居る繪なのだ。
縮み上る程に身慄をした法龍は牙をむいて刻々迫り來る無常の風の虎には無條件で服從しなければならないのに、他所吹く風に見て居るではないか、晝仍るの二匹の鼠が交るゞゝ、確だ大丈夫だと信じ切つて居る命の綱を齧りつゝ有る事も知らないで、地位や名譽や財産や愛慾の蜜を嘗めつゝ三惡道に進みつゝあるのではないか。どうするのだ。
爆彈の前の火遊びではないか、斷崖の上の居睡ではないか、薄氷の上のスケートではないか、刀上の蜜、風前の燈、それはみんな形容に過ぎないのだ。久遠劫からの
無明煩惱しげくして 塵數のごとく遍滿す
愛憎違順することは 高峯岳山にことならず
これだけ底の知れない果てしのない業障を荷ひながら、無常の風に追ひ立ってられながら業を業とも知らなければ無常を無常とも知り得ず、未だ自性は他所見して居るではないか、眞劍になつて呉れないではないか〈30〉
地位や名誉や財産に目を奪われ、迫り来る後生の一大事に全く真剣になれない自性に、大沼は非常な焦りを感じていた。
きかん機一つが明かに見せつけられ、之れでこそ三世の諸佛に見捨られたのだ、八千遍の甲斐がなかつたのだ、十八願から洩れたのだ、聞かん儘で今死んだらどうなるのかと、ぐーと臨終が迫つた時、今迄一度も周章なかつた實機が、どうしようか!と叫んだ時、命の綱は切り落とされ「うーん」と言つたぎりであつたが、其時を言葉に顕はせば八方暗黒に包まれた法龍が黒い焔の中に投げ込まれ、「あー」と驚いた時と、「我よく汝を護らん、五兆の願行は其機一つの爲に成就したのだぞ」の聲なき聲に喚び醒まされた時は同時であつて呆然として聲さへも出し得なかつたのだ。
聲も言葉も出なかつたけれども一切の無明は晴れ亘り、往生は一定なりの大安堵心を得て、親様!只の只とは焔に焦げつゝ悶えつゝ逆とんぼ飛込む儘が只で御座いましたか。只であつた只であつた、只の言葉さへもいらない只であつた、と躍り上つて地團駄ふんで踊り舞ひした。南無阿彌陀佛ゝゝゝゝゝゝ、新しく込み上げて來る涙は何であらう、感謝法悦悔悟の涙なのだ。
嗚呼親様すみませなんだ、濟みませなんだ、五劫思惟の本願は法龍一人の爲であつたのか。
どうしませうゝゝゝゝゝゝ、反逆を續けた法龍が、永劫の御苦勞を踏み躙つた法龍が今の今まで自惚れ通した法龍が、火を噴き上げて手のつけられなかった法龍が、金輪際法に背いて居た法龍が、恨みと呪いの惡魔の法龍がありゝゝと見せつけられて身慄したのは法の鏡に映つたのが、行くも死せん止まるも死せん去らば復死せんの三定死の立場で、言葉さへも出し得なくて親様を恨んで居たが、
あそこ迄照し出して下さらなければ久遠劫からの自力の執情は捨て切らなかつたのか、信じる事さへもようしない法龍を五劫思案の其時から信じ切らない自性ぢやと親が信じ切つて呉れた事を信ぜずには居れなかつたのか、よくもゝゝゝ口が裂けなんだ事だ、よくもゝゝゝ大地が破れなんだ事だ。〈31〉
罪悪観で苦しみぬき、真剣になれない自分に苦悩しはてた矢先に大沼の廻心は起こってきた。
次に大沼の布教と伊藤の布教を比べてみたい。大沼の著書は約三十冊あるが、どの本にも共通していえるのは、大沼が目の前で話しているような迫力と勢いがあることである。反面、同じ自分の体験を繰り返し説き、本によっての特色があまり見られないという面もある。
法をすすめるときに繰り返し述べるのは、実機を知ることなしには獲信することは出来ない、ということである。どこまでも罪悪観を極めていくという様子がみえる。大沼の著書『信仰に悩める人々へ』は、求道者の問いに対する返答である。
どんなにしたらご信心をいただけるのであろうか。どうなれたらよいのか、どうも心がはっきりしません。胸の底に気済のしない、いやな心が離れてくれない。なんとかなれないだろうかと、ずんずん進むのです。一心になればなるほど、自分の心がまとまらないことが知れます。もがけばもがくほど、自分の無能劣機なることが自覺されます。いよいよどうにもなれない自分。動きのとれない徒者。持ちも提げもならん始末におえない愚人と投げ出した時が仏さまに見ぬかれている心なんです。〈32〉
罪悪観が進んでくればくるほど、どのにもならない心、はっきりしない心、まとまらない心がわかる。そして、全くの無能でどうにもならない愚か者だ、と自らを投げ出すところまで出る。その心を阿弥陀仏は見抜いているという。
大抵の人は悪性の心が出た時に、そのような悪い心では危ない、堕ちない間に早く助かりたいと思う心から、ありがたいものを聞いては上塗りするのです。上塗りするのは自分を誤魔化し仏さままで誤魔化して浄土に乗込もうとする偽善人ですから、達者な間は兎も角として死に際になると、自分も誤魔化されず仏さまも誤魔化されぬようになって苦しむのです。仏さまは私等のありがたい心をお見ぬきではありません。悪人を悪人とお見ぬきなのですよ。〈33〉
ほとんどの求道者は悪い心が出てきた時に、このような心では地獄に落ちると、そこに蓋をして有難い話で誤魔化そうとする。自分を誤魔化し阿弥陀仏も誤魔化そうとする。しかし、死期が近近づくと、その誤魔化しが効かなくなる。それでは間に合わないのである、と大沼はいう。
何卒罪悪観をずんずんと進めていってください。私もわからんわからんで一週間は食べたり食べなんだりしてくるしんだのです。無我になった人の話を聞けば皆苦しんでいます。本当にわからなくなった時には立っても座ってもいられなくなり、本に地団駄をふみます。聖人の六角精舎へのお祈願が偲ばれます。何ともなれない渋太い私を見つめた時、大声をあげて泣くより他に仕方ありません。泣き崩れた私と離れぬ親がましますとは不思議ではありませんか。
私は信心をいただいた。私は疑いはいたしません。そのままといわれるから、そのままと安心していればいいではないか、という善人は後廻し、あなたのように苦しまれる者が先に仏になれるお慈悲なんですから、どうでもこうでも苦しんでお求めください。〈34〉
大沼は、罪悪観を進めることを最重要視する。大沼自身の求道がそうであったように、食事が出来ぬほどに苦しみ、何ともなれない自分に大声をあげて泣けという。そのどん底の中において、阿弥陀仏と出会える展開があるというのだ。罪悪観を見つめて苦しみに苦しめ。そうすれば必ず獲信への道は開けるというのである。
この勧め振りを見ると、伊藤と異なる点が明らかになってくる。伊藤は、罪悪については、阿弥陀仏が本願を建てねばならなかった理由を知るために見るべきではあるが、飽くまでも、罪悪は阿弥陀仏からすれば救済の対象であるという。問題にするべきは仏智への疑心、つまり本願に対する自力疑心である。大沼も疑心を問題にはするが、伊藤のような明確な線引きは無いようである。罪悪観を極度まで見つめていくことで結果的に疑いが破れていく、という展開が、大沼の主張するところである。
また無常観に関しては、伊藤のように著しく強調することがない。臨終を今に引き寄せよという示しは大沼にもあるが、今死んだらどうなる、という伊藤のような説き方ではない。伊藤は、ただ今迫っている後生であり、先延ばししている時間はない、と勧める。そのような勧め方は大沼には見られない。
大沼の布教の特徴は、罪悪観を限界まで推し進めていく点にあるといえよう。